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東海道   (宇都宮~水無)


平成28年11月7日(月)  ☀|☁   宇都宮~水無   22.0㎞
前回の続きで奥州街道との追分からスタートである。この先は、日光へ向かう東武日光線もJR日光線も街道から離れており、最も近い駅が下野大沢駅であり、水無の手前の大沢から2.6㎞、水無から2.9㎞となる。この時期は日没が早いが、街道には寺社仏閣が少ないので寄り道時間を考慮しても水無までは行けそうである。

宇都宮一里塚跡 「たまき」 宇都宮宿北口 勝善神碑
街道は、桂林寺の前でやや左にカーブするが、この辺りに宇都宮一里塚があったという。
現在は、何の痕跡も標示もない。
宇都宮一里塚は、江戸日本橋から数えて27里目の一里塚である。
先に進むと、直ぐ右手に茶器・工芸の店で、最近は最中を販売していたという重厚な造りの 「たまき」 がある。
店先には、「蔵払い」 の張り紙が出ており閉店するようである。
「たまき」 の先で枡形になったところがあり、この辺りに木戸があったようである。 先に進むと左に枝別れする道の入口に勝善神と刻まれた石碑がある。
勝善神は、神道系の牛馬の守護神で、仏教系の馬頭観音に相当する。明治期に建てられたもので、傍らには判読できない石碑が2基建っている。

栃木県体育館 戸祭交番 柿塚神社 交通安全観音菩薩
勝善神碑を過ぎて松原3丁目交差点で国道119号線に合流すると、左手に栃木県体育館が建っている。
本館・別館は昭和40年に、プール館は昭和47年に、武道館・弓道場は昭和52年にオープンしたという。
先に進むとT字路信号交差点の右手におしゃれな建物の宇都宮中央警察署戸祭交番がある。 戸祭交番の前のT字路信号交差点を左に入ると、右手に柿塚神社がある。
柿塚神社の創建年代等は不詳であるが、境内には境内社の稲荷社、神輿庫があり、拝殿前には途中から切られた杉の木、昭和11年(1936)の常夜燈がある。
上戸祭町交差点の左手にある 「魚べい上戸祭店」 の前に交通安全観音菩薩が建っている。
たまたま店から出てきた店主の話によると、この交通安全観音菩薩は、昭和初期の横川信夫栃木県知事が建立したものだという。

観音堂 桜並木 上戸祭一里塚 杉並木
上戸祭町交差点を渡ると左手に薬師如来観音堂がある。
観音堂の詳細は不明であるが、御堂の中には屋形厨子と複数の仏像が安置され、御堂の裏手には十九夜塔・大乗妙典供養塔・如意輪観音などが安置されている。
宮環上戸祭町交差点で宇都宮環状線を渡ると「日光の社寺」 ・ 「日光23km」 の道路標識があり、街道脇には桜並木が始まる。
ここから日光市山口まで16kmほど約1,500本のヤマザクラの大木が続いており、車道と歩道が分離され、その分離帯に並木がある。
宇都宮文星短期大学を過ぎると上戸祭の一里塚がある。
この一里塚は、宇都宮城下と徳次郎宿の間に位置し、江戸日本橋から数えて28里目の一里塚である。なお、この一里塚は西東両塚あるが、昭和58年度に一部修復整備したものである。
上戸祭の一里塚を過ぎると桜並木よりは杉並木の方が多くなってくる。
並木は晃宝通りとの交差点の前後で一旦途切れている。

光明寺 杉並木 宇都宮北道路 地蔵菩薩
並木の途切れた街道を進むと左手に真言宗智山派の寶珠山光明寺がある。
光明寺は、文禄2年(1593)宥憲法印により、石塚に玉塔院と称して創建したのが始まりで、その後、寛文11年(1671)現在の桜田に移転し、光明寺と改めた。
境内には、宝暦の身代わり地蔵尊・宝篋印塔があり、本堂の天井には日本芸術院の豊川蛯子画伯画 「飛天」 がある。
光明寺を過ぎると再び杉並木(桜並木)が始まり、歩道は車道より一段高い所を通っている。街道左手には竹林が広がり、街道の杉も次第に太くなってくる。 杉並木が途切れたところで宇都宮北道路の高架下を潜って行く。
この道路は、国道119号線の渋滞緩和のために造られたバイパスである。
宇都宮北道路を過ぎると左手に宇都宮観光開発㈱の管理地となった、かなり広い空き地があり、その前の歩道脇に小さな地蔵菩薩が建っている。
地蔵菩薩の前には、ジュースとおもちゃが添えられていたので、ここで子供の事故があったと思われる。ご冥福を祈って先に進んだ。

高谷林一里塚 第六号接合井 桜並木 謝恩之碑
先に進んで東北自動車道の高架が見える辺りで、街道の右手に高谷林の一里塚がある。
この東塚は、昭和58年度に一部修復整備したもので、西塚は確認できない。
ここは江戸日本橋から数えて28里目の一里塚である。
東北自動車道の高架下をくぐって間もなく右手にレンガ造りの宇都宮市水道第六号接合井がある。
接合井は、今市浄水場で浄水した水を戸祭配水場まで送る際、送水管にかかる水圧を弱めるために建設された施設である。
この先、第壱号接合井まで建っているが、この第六号接合井だけは当時のままの姿を残しており、登録有形文化財に指定されている。
街道右手のそば処 「百姓屋」 を過ぎると街道沿いには、桜の巨木が立ち並ぶようになる。
この付近までは歩道が並木の外にあるので快適な道を歩ける。
宇都宮市立富屋小学校の手前の横断歩道橋で桜並木が切れると、その先左手の門柱の奥に謝恩之碑が建っている。
この碑は、外鯨升(とくじらみのる)氏の碑で、父漪結城、母とくとの長男として慶應3年(1867)に富屋村徳次郎に生まれ、梅園春男に師事し、栃木県皇典講研究所の講師として勤めた等々と刻まれている。

赤岡神社 薬師堂 道標 痣(あざ)地蔵堂
謝恩之碑を過ぎると左手の路地を入ったところに赤岡神社がある。
境内にある記念碑によれば、下徳次郎の北端にあったが、昭和29年(1954)に河内郡富屋村が宇都宮市に合併され、神社敷地を消防分遣所に明け渡すため、昭和30年(1955)に現在地に遷宮したという。境内には古峯神社・三峯神社の境内社があり、石祠・常夜燈などが建っている。
赤岡神社を出て街道がやや左にカーブするところに門があり、門をくぐって行くと突当りに赤い屋根の薬師堂がある。
この門は、廃寺の山門が残されたもので、御堂は荒れており、中に屋形厨子と神輿が無造作に置かれている。
境内には、三面六臂の道標を兼ねた馬頭観音・十九夜塔・六地蔵幢・勝善神碑などがある。
先に進むと徳次郎交差点の手前左手の路地角に道標が建っている。
道標は欠けているが、正面に 「神社入口道約五丁」、右側面に 「五日祭日 ○○里田中道」と刻まれている。
神社は、日光宇都宮道路の西にある神明神社を指している。
道標の先を進むと国道293号線を渡ったところに痣地蔵堂がある。
地蔵堂の隣に解説板が建っているが、半分は消えており由来など詳細は不明であるが、願を掛ければ痣やイボが治ると言われている。

石蔵 智賀都神社 徳次郎六本杉 大網町入口道標
徳次郎交差点から街道に戻ると、右にも左にも大谷石を使った石蔵が目につく。
徳次郎宿は昔から徳次郎石や大谷石を使った石蔵を造る伝統があったという。
街道を進むとガソリンスタンドENEOSの斜向かいに智賀都(ちかつ)神社がある。
智賀都神社は、宝亀9年(778)日光二荒山神社から御神体を勧請して、外鯨村千勝(ちかつ)の森に祀ったという。
鳥居の奥には、推定樹齢700年の巨大なケヤキが2本立っており、手水鉢は3体の石像が担いでいる。
智賀都神社を出ると、直ぐ先の中央分離帯に六本の杉が植えられており、往時の姿を再現している。 徳次郎六本杉を過ぎて桜並木の街道を進むと右手に大網町入口道標が建っている。
道標には、「昭和30年宇都宮市大網町入口」 と刻まれている。

徳次郎変電所 徳次郎上町屋台庫 石祠 石那田一里塚
桜並木が途切れた右手に徳次郎変電所がある。
この先の小さな畑野橋を渡ったところこから上徳次郎の集落が続いている。
集落の中の街道を進んで、石材店 「石太郎」 を過ぎると右手に徳次郎上町屋台庫が建っている。
屋台は 「徳次郎六カ郷」 の西根、田中、門前、上町、下町、中町の6地区でそれぞれ保存されている。智賀都神社の夏祭りで町内を練り歩くもので、6台全てが市の有形民俗文化財に指定されている。
徳次郎上町屋台庫を過ぎると、右手の 「売地760坪」 の看板の建つ空き地に石祠がある。石祠のある空地を過ぎると左手に飛び飛びに桜並木が復活し、歩道もあるので車を気にせず歩くことができる。 先に進むと船生街道入口交差点(T字路)の角に石那田一里塚がある。
この塚は東塚で、塚上には一里塚の石柱が建っている。西塚は標示などはないが、畑の一部にこんもりと盛り上がっているところがあり、これが西塚の名残かもしれない。
ここは江戸日本橋から数えて30里目の一里塚である。

日光街道植樹記念碑 十九夜塔 馬力神 石那田堰
石那田一里塚の斜向かいの歩道斜面に日光街道植樹記念碑がある。
題字は、栃木県知事横川信夫氏書であり、上戸祭町交差点にあった交通安全地蔵尊を建てた人物である。
碑には、「宇都宮市上戸祭町より今市山口に至る16km、昭和26年4月山ざくら1,300本・つつじ1,500株、昭和30年5月山ざくら500本・つつじ350株・かえで200本」 と刻まれている。
日光街道植樹記念碑の後ろにあたるところに、覆屋に安置された天保7年(1836)の十九夜塔がある。
傍らには馬頭観音3基、開墾記念碑が建っている。
先に進むと左手の杉林の前に街道に背を向けた状態で馬力神が建っている。
馬力神は、馬の守護神で自然石に馬力神と刻んだ石塔が栃木県や宮城県で見られるが、その大部分は愛馬の供養のために造立されたものである。
街道の右手にある 「すぱやパートⅡ」 の手前の右手筋の角に 「二宮尊徳先生遺蹟石那田堰100米」 の標柱が建っている。
標柱の前の道を下って行くと田川の手前に二宮尊徳像と移築記念碑などが建っている。
石那田堰は、嘉永5年(1852)二宮尊徳の指導の下に築かれた用水である。

十九夜塔 第五号接合井 石那田八坂神社 大邸宅
街道と石那田堰n間にある仲内自治会集会所の前に覆屋に安置された十九夜塔がある。
覆屋には、十九夜塔のほかに地蔵菩薩坐像が安置されている。
街道に戻ると、程なく右手に宇都宮市水道第五号接合井がある。
接合井は、今市浄水場で浄水した水を戸祭配水場まで送る際、送水管にかかる水圧を弱めるために建設された施設で、この接合井は6基設置された内の一つである。
第五号接合の先で猪倉街道入口交差点を越え、その先で田川を渡ると左手に石那田八坂神社がある。
八坂神社は、明暦元年(1655)疫病退散のため山城国八坂神社より分霊を勧請して創建されたもので、石那田八坂神社は御仮殿であり、本殿は、ここより北側の日光宇都宮道路を越えたところにある。境内には、天王祭解説・石那田八坂神社竣工記念碑などがある。
石那田八坂神社の向かいに立派な門を構えた大きな屋敷がある。
門の奥には石造りの蔵が2つ建っている。

馬頭観音 金精神 庚申塔 並木の街道
石那田八坂神社脇から桜並木が復活し、歩道の坂道を上ると大きな桜の木の根元に小さな馬頭観音が建っている。 街道の右手段上に覆屋が建っており、中に本殿らしき小社が安置されている。
御神体は見当たらないが、金精神(男根を象った石など)を祀っているという。
石那田バス停を過ぎると、左手の道筋入口に庚申塔が建っている。
中央の小さいのが一面六臂の青面金剛の庚申塔であり、左右の石碑は風化が進んでいて文字なのか、仏像が刻まれているか不明である。
庚申塔の先はスギ林、桜並木、りんご畑を見ながら進んで行く。

お願い地蔵 新渡神社 上小池一里塚 日光市
しのいの郷農園の入口標識のところに 「お願い地蔵」 がある。
由緒書によると、この地蔵尊は享保15年(1730)八代将軍吉宗公時代疫病が流行し、住民が苦しんだ時、地域の人々により石仏が造られ、人体の悪い所と石仏の同じところに赤い布を付けてお願いすると不思議に治ったという。それ以来、この地蔵尊を 「お願い地蔵」 と呼ぶようになったという。周囲には、十九夜塔・二十三夜塔、複数の庚申塔が建っている。
先に進んで園田モータースを過ぎると、右手の林の中に新渡神社がある。
新渡神社の創建年代等は不詳であるが、ご神体は石の不動尊と云われ、境内には稲荷神社ほか不明な石祠などが並んでいる。
新渡神社の街道を挟んだ向かいに、こんもりとした所があり、木が植えられている。
周囲には、何の表示も無く一見ただの盛土にしか見えないが、これが上小池一里塚の西塚である。東塚は残っていない。
ここは江戸日本橋から数えて31里目の一里塚である。
上小池一里塚の先は、杉並木も次第に大きく・太くなってくるが、桜やカエデが混ざって彩のある並木道になっている。
この辺りで宇都宮市から日光市へ入って行く。

馬頭観音 そば処栗山 Y字路 並木寄進碑
並木が切れる左手の歩道脇に小さな馬頭観音が建っている。 馬頭観音の先から程なく右手に 「そば処栗山」 がある。
この辺りでは食堂らしき所が限られているので、ここで昼食タイムを取った。
そば処栗山の先で桜が中心の並木道を進み、山口信号交差点を過ぎると、その先にY字路がある。ここを右に進むと杉並木の道になる。 街道を進むと間もなく左手に並木寄進碑が建っている。この石碑は、松平正綱が杉並木を植栽して東照宮に寄進したことが記されたものである。
並木の起点となる神橋畔および各街道の切れる今市市山口(日光街道)、同小倉(例幣使街道)、同大桑(会津西街道)の四カ所に建っている。
この碑は、日光神領の境界に建てられているので境石とも呼ばれている。

杉並木 松尾神社 王子神社 龍蔵寺
この杉並木は、徳川家康から家光まで三代に仕えた松平正綱が寛永年間(1624-43)の20年余りの歳月で20万本以上の杉を植樹し、家康33回忌の慶安元年(1648)に日光東照宮の参道並木として寄進したものである。
現在、高さ約30mにも成長し、日本で唯一、特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けており、平成3年には 「世界一長い並木道」 としてギネスブックに認定されている。
手打ちそば 「みつぎ」 の手前で杉並木は途切れ、大沢交差点を左折して赤堀川の手前の山道を右に進むと松尾神社がある。
松尾神社の創建年代等は不詳であるが、境内には鳥居付きの八坂神社石祠・古峰神社石祠、石灯籠などが建っている。
街道に戻って大沢交差点の先を進み、横断歩道橋の手前の右手小路を進むと王子神社がある。
王子神社は、境内の由緒碑によれば、正治2年(1200)源頼朝の近臣大橋太郎によって創建されたもので、旧大沢宿の鎮守である。
境内には、推定樹齢約240年の大イチョウ、愛宕神社・金勢大明神・たくさんの石祠がある。
王子神社の前の道を進んで行くと、竹林の参道の奥に真言宗智山派の大沢山龍蔵寺がある。
境内の再建碑によると、龍蔵寺は建仁2年(1202)の創建で近隣里人の菩提寺として崇敬され、徳川四代将軍家綱の日光社参から将軍休憩所になったという。
境内には、日光市の天然記念物に指定されている樹齢100年の六尺藤、地蔵菩薩・如意輪観音・庚申塔などの石造物がある。

杉並木入口 八坂神社 特別保護地域 地蔵菩薩
街道に戻ると大沢郵便局の先のY字路左側から杉並木が始まる。
右側の道は最近出来た国道119号線のバイパスである。
杉並木に入って間もなく右手に八坂神社がある。
八坂神社の由緒などは不詳であるが、鳥居の奥に八坂神社石祠があり、手前に文政5年(1822)の常夜燈、その脇に白雲山・庚申石祠がある。
これまでは杉並木の出入り口に 「保護地域・普通地域」 の道標があったが、八坂神社の先には 「特別保護地域・保護地域」 の道標が建っている。
この辺りでもほぼ車両は走っていないが、八坂神社から200m程先で車両通行止めとなり、安全に街道を進むことができる。
車両通行止めとなる左手の杉の下に交通安全の地蔵菩薩が建っている。
車の往来があった頃、この辺りで事故があったのかも知れない。

第三接合井 水無一里塚 地蔵堂 水無交差点
特別保護地域の杉並木を見ながら街道を進むと右手の段上に宇都宮市水道第三接合井がある。 第三接合井の先に大沢の一里塚がある。
東塚は杉が植えられており、西塚には木は無いがこんもりと盛土が確認できる。この場所は大沢と水無の中間にあたるため大沢一里塚とも呼ばれている。
ここは江戸日本橋から数えて32里目の一里塚である。
杉並木が途切れる水無交差点の手前左手に地蔵堂がある。
地蔵堂には延命地蔵菩薩が安置され、地蔵堂の周囲には寒念仏供養塔・十九夜塔・地蔵菩薩などの石造物が並んでいる。
地蔵堂の先で杉並木が途切れ、水無交差点に出る。今日はここで終了し、最寄りのJR下野大駅へ出て宇都宮に向かう。

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