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北国西脇往還  (篠ノ井~善光寺)


平成27年9月24日(木)  ☁   篠ノ井 ~ 善光寺   <歩き17.0㎞>
昨日の宿は、治田町交差点角の道標に刻まれた八幡宮(武水別神社)の前にあるホテルうずらやであった。ホテルは泊り客が私だけのようで、掛け流しの風呂も独占状態で夜も朝もゆっくり入ることができた。今朝は屋代駅に出るまで30分ほど時間があったので、目の前の武水別神社に寄ってから屋代駅へ向かった。今日は丹波島宿を経て犀川を渡って終着の善光寺へ向かう。

ホテルうずらや 武水別神社 屋代駅 鼻顔稲荷神社
武水別神社の向かいに 「ホテルうずらや」 が建っている。創業は江戸時代で200年の歴史があるという 「うずらや」 は、初代・武井音兵衛が創始した 「うづらもち」 が有名である。
部屋からは段々になった田圃と姥捨山が良く見える。
社伝によれば、武水別大神は人皇第八代孝元天皇(紀元前214~156)の御代に御鎮斎と伝えられている。その後安和年間(968~970)に京都の石清水八幡宮より、誉田別命・息長足比売命・比咩大神が勧請され、相殿に奉斎された。
境内には本殿・拝殿のほか額社・高良社・神輿休所など境内社が多くある。
しなの鉄道屋代駅には、屋代南高等学校生徒の作成した上杉謙信・真田幸村の鎧兜がホームに向いて展示され、待合室には埴生小学校の燈籠画が展示されていた。 JR篠ノ井駅から街道に向かう途中の左手に鼻顔稲荷神社がある。
ここは日本五大稲荷の一つに数えられる佐久市岩村田の鼻顔稲荷神社の分霊を祀っている。御祭神は宇迦乃御魂命・猿田彦命・大宮能売大神の三神で、境内には蚕神・秋葉神社・天神宮などが合祀されている。

布制神社 秋葉神社・天神さん 庚申塔 臼女神社
街道を進むと左の脇道を入った芝沢公園に布制神社がある。
御祭神は天照大神・大彦命を祀っており、布制社殿の隣には西宮神社の社殿がある
布制神社から街道に戻ると最初の十字路右手に柴澤の秋葉神社と天神さんがある。
ここは北国街道に面する交通要衝の地であり、芝澤の安寧と開運を祈願して建てられたものである。
芝澤交差点の手前に蔓延元年(180)の庚申塔が建っている。
裏面に布施高田村と刻まれている。
芝澤交差点を右に進んで県道77号線を渡ると長円寺の手前に臼女神社がある。
神社の前身は鎌倉時代の豪族布施八郎と後に天照大神とを奉斎した布施神社である。明治41年(1908)に五明の布制神社に御神体など引き渡したが、その後、昭和23年に御神体と社殿を布施神社跡地に遷座された。社殿前には臼女さんと呼ばれる石臼があり、古くからこの地の守護神として崇拝されてきたという

長円寺 地蔵堂 茶屋本陣跡 世茂井神社
臼女神社の先に浄土真宗本願寺派の長円寺があり、山門前に文化12年(1815)の常夜燈が建っている。 街道に戻り高田交差点を越えると右手に地蔵堂がある。
ここには石造地蔵菩薩坐像・石造薬師如来坐像が安置されている。いずれも室町時代の作である。地蔵堂の斜向かいには井戸がある。
街道を進むと右手に立派な旧家があり、旧家の手前を右に入ると塀の脇に明治天皇御小休所碑が建っている。
街道から見えなので通り過ぎるところであった。
茶屋本陣跡の先の右手の路地の突当りに世茂井神社がある。御祭神は大国主命の子である建御名方神である。
境内には猿田彦命・金剛明王・庚申塔・道祖神など多くの石造物がある。

蓮香寺 明治天皇原御膳水碑 中津村~昭和村役場跡 北原警察分署跡
世茂井神社の向かいの路地先に浄土宗の光明山崇要院蓮香寺がある。
南北朝時代の貞治6年(1367)に川中島原の西畑沖に創建され、その後安土桃山時代の慶長元年(1596)に現在の地に移転再建され、平成10年(1998)の長野オリンピックでは、ドイツチームのゲストハウスとなっている。境内の開山堂には月秀上人像、呑龍上人像が安置されている
蓮香寺から程なく左手の連子格子の立派な家の前に明治天皇原御膳水碑が建っている。 暫く進むと長野市消防団川中島第2分団詰所の火の見櫓の下に中津村~昭和村役場跡の標柱があり、傍らに馬頭観音らしき石仏が建っている。この先で北原西交差点を越えると左手に今井村役場跡標柱がある。 街道右手に金網で囲われた広場があり、その角に北原警察分署跡の解説が建っている。
ここは明治14年(1881)機構改革により、塩崎警察分署が移設されたところである。その後機構改革・町村合併などにより、今井警察分署、中津警察分署、中津村巡査駐在所、中津警察官駐在所と改称されてきた。

稲荷社 川中島町役場跡 御大典紀念碑 道祖神
北原警察分署跡から程なく左手の塀の中の畑の隅に稲荷社が建っている。 街道を進んで行くと長野市川中島支所の植栽の中に川中島町役場跡標柱が建っている。
川中島支所前の交差点を越えて暫く進んで行くと小川の手前の路地角に道標を兼ねた御大典紀念碑が建っている。文字がはっきりしないが 「大村ヲ経テ東福寺村松代町二至ル」 と刻まれている。
長野南バイパスの下をくぐって先に進むと横断歩道の左にある消火栓の後ろに文化4年(1807)の道祖神が建っている。

親鸞聖人御舊跡碑 唯念寺 新田共同井戸 観音堂
街道が右カーブするところで橋場交差点を越えて間もなく左手に親鸞聖人御舊跡碑が建っており、その後ろに隠れるように昭和24年(1949)の道祖神が建っている。 親鸞聖人御舊跡碑の脇を左に入って行くと真宗大谷派の唯念寺がある。
開祖は和田新四郎義包で和田義盛(鎌倉幕府の侍所別当)の嫡尊新左衛門尉常盛の4男である。境内には親鸞聖人像・南無阿弥陀仏碑・唯念寺由来碑などがある。
街道に戻ってどんどん進んで行くと左手に新田共同井戸がある。
明治10年代(1788~)に新田組二十三戸の共同井戸として掘削された釣瓶井戸である。その後手押しポンプ、簡易水道となり、昭和30年(1955)県営上水道になるまで使用された。
更に進むと丹波島交差点の手前に観音堂がある。元禄年間(1688-1700)仏門に帰依した問屋柳島市郎左衛門寛休により建立されたもので、ご本尊は観音菩薩であるが、地蔵菩薩も併尊されている。堂内には念仏行者徳本上人の名号碑と寛休の経塚がある。

於佐加神社 鍾馗像 高札場跡 問屋場跡
丹波島交差点を越えて枡形に突き当たる左手に於佐加神社がある。この神社は丹波島宿の鎮守であり、健御名方神・八坂斗売神が祀られている。
境内には秋葉社・天満社・金比羅社などの境内社の他、筆塚・庚申塔・道祖神などがある。
枡形の突当りの家の屋根に鍾馗像がある。
丹波島宿には、宿場に入って来る邪鬼を追い払うため、街道の入口や脇道からの突当りの家の屋根に様々な形をした鍾馗像が鎮座している。
枡形から真っ直ぐな街道を進むと左手に丹波島宿の高札場跡がある。 高札場の隣に丹波宿の問屋柳島家がある。
柳島家は慶長16年(1611)丹波島宿が開設されて以来260年間問屋を務めた。建物は江戸中期に建てられたもので、脇本陣を兼ねた造りとなっていた。冠木門は松代藩廃止後払い下げを受け、移築したものである。
門前には明治天皇北陸巡幸の御膳水記念碑が建っている。

本陣跡 丹波島の渡し跡 丹波島橋 丹波島橋竣功記念碑
問屋場跡の直ぐ先に本陣跡の柳島家がある。柳島家は近江の国で武田信玄の家来として松代に入封し、川中島の戦い後、めまぐるしく代わる松代城主のときは物見役を務めていた。柳島家三代目柳島太郎左衛門政雄が、慶長15年(1610)松代城主松平忠雄の補佐役大久保長安に命ぜられ、北国街道丹波宿開設と本陣を務めた。門前に明治天皇御小休所碑が建っている。 本陣跡を過ぎて十字路を左折して進んで行くと犀川の堤防突当りに丹波島の渡し碑が建っている。碑には小林一茶と十辺舎一九の句が刻まれている。 土手道を進んで犀川に架かる丹波島橋を渡って行く。
欄干には渡しの時代から銅橋の時代までの解説とレリーフが刻まれている。
丹波島橋を渡ると右手に丹波島橋竣功記念碑などがあり、左に文政6年(1823)の常夜燈、右に文政3年(1820)の常夜燈が建っている。

水神宮 提灯 馬頭観音 蓮心寺
丹波島橋を渡り右手の土手沿いを下って行くと公園の一角に水神宮がある。祠の中に新しい水神が陽刻されている。 水神宮から街道に戻って県道372号線を渡ると各戸の玄関先に一言書かれた提灯が延々と続いていた。
この提灯には 「姉さんの花嫁姿きれいだな」 と書かれていた。
街道右手の塀の奥に赤く塗られた馬頭観音が祠に安置されている。帽子をかぶっていると地蔵菩薩にしか見えないが帽子を取ると頭に馬の頭が乗っていた。 街道左手に浄土宗の蓮心寺がある。
境内には南無阿弥陀仏碑・招魂碑・明治14年(1881)の常夜燈などがある。

木留神社 観音寺 長野駅 糀屋本店
蓮心寺の隣に木留神社がある。
社名の由来は、善光寺再建のための材木を犀川丹波島の渡しで陸揚げし、境内に留め置いたからだと伝わっている。
鳥居を潜ると二股に分れた大きなケヤキの木が中央にあり、境内には庚申塔・行人塚・高札場が復元されている。
長野駅が近づく左手奥に観音寺がある。
御本尊は源頼朝公が善光寺佛参の折り、漆田出羽ノ守元春に自らの御守仏髻馬頭観音(六分五里)と智證大師御作ニ位禅尼政子の御持仏の厄除観音(一寸一分)を託した観音像ニ体と聖徳太子御作火防地蔵菩薩(五寸)である。
境内には宝篋印塔・子育観世音菩薩・庚申石祠などがある。
観音寺の先でJR僭越本線の跨橋を渡って善光寺側に出ていく。跨橋からは長野駅が見える。 長野駅南交差点を渡ると左手に糀屋本店があり、屋根に小祠が乗っている。店頭には醤油製造所・種糀製造所などの年季の入った看板が下がっている。

西光寺 オリンピックモニュメント 熊野神社 善光寺
善光寺参道に入ると右手に浄土宗の西光寺がある。
正治元年(1199)善光寺如来に導かれて、高野山から信濃の地に下った苅萱道心が、この地に草庵を建立したのが始まりである。御本尊は、開祖苅萱道心とその子信照坊道念上人(幼名石童丸)が刻んだ二体の親子地蔵尊である。
善光寺参道の中央通りに面したところに平成10年(1998)の長野オリンピックメモリアルパークがある。ここは長野オリンピックで表彰式を行った会場跡である。 参道左手に熊野神社がある。
この神社は、竜と天女の彫り物が見事で日光東照宮の 「眠り猫」 で有名な左甚五郎が善光寺参りに来た時に彫ったと言われている。
北国西脇往還の最終地である善光寺である。
日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来を本尊とし、江戸時代末には、「一生に一度は詣れ善光寺」 と言われるようになった。

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