甲州街道 (鳥沢~甲斐大和)
鳥沢(駅)から甲斐大和までは、鳥沢宿、猿橋宿、駒橋宿、大月宿、下花咲宿、上花咲宿、下初狩宿、中初狩宿、白野宿、阿弥陀街道宿、黒野田宿、駒飼宿とあり、約31kmの道程である。 |
平成25年5月25日(土)☀ 鳥沢~笹子 19.1㎞ |
梅雨入り間近となり、できるだけ先に進みたかったので曇空ではあったが、7時50分に鳥沢駅を出発した。 |
鳥沢宿 | 明治天皇駐蹕地碑 | 馬頭観音 | 猿橋 | |||
鳥沢宿は、上鳥沢宿と下鳥沢宿の2宿があり、駅前は上鳥沢宿である。 街道の両側には、古い街並みがそのまま残っている。 写真は、「叶屋」 跡で旅籠風の建物である。 |
これまでは、明治天皇御小休所と彫られたものはあったが、変わっているので調べてみると、駐蹕(ちゅうひつ)と読み、天皇の行幸の途中、一時のりものをとどめることをいうそうである。 | 明治天皇駐蹕地碑から国道20号線を少し行くとと右側に三栄工業㈱の看板があるので、ここを登って行くと川の手前右側の竹藪の前に馬頭観音などの石碑がある。 | 猿橋は、長野県上松町の「木曽の桟」、山口県岩国市の「錦帯橋」と並んで奇妙な形をしていることから、日本三大奇矯と呼ばれている。 橋の脇には、山王宮がある。 また、渓谷を降りていくこともできる。 |
馬頭観音 | 三嶋大明神 | 阿弥陀寺と一里塚 | 分岐からの眺め | |||
猿橋から1㎞ほど行った道路右側に紅富士太鼓道場があるが、その真向かいに大きな馬頭観音と交通安全祈念碑が建っている。 | 馬頭観音から先の右側に民家は無く、桂川が流れており、宮下橋から中央高速道路が良く見える。 境内には、拝殿の裏に赤い本殿が繋がっている。 |
三嶋大明神の先の道路が左カーブする辺りに阿弥陀寺がある。この寺は、弾誓上人を開山とする由緒ある寺院である。 入口には、猿橋一里塚の木柱と弾誓上人御蕉跡の石碑が建っている。 |
分岐からは、桂川とその向こうに大月のシンボルである岩殿山が見える。 ここで一輪車を押す男性が、この辺りには桃太郎伝説があると話しかけてきた。岩殿山には鬼が住んでおり、ある時、桂川に流れてきた桃を割ると男の子が出てきて桃太郎と名付けたとのこと。犬目でイヌを、鳥沢でキジを、猿橋でサルを家来にして鬼退治をしたとのこと。 |
第五甲州街道踏切 | 厄王大権現 | 富士道追分 | 下花咲一里塚跡 | |||
古道を暫く進み、東京電力駒橋発電所の大きな2本の導水管を越えてJR中央本線に向かって登って行くと踏切にでるので、これを越えて進むことになる。 | 踏切から300mほどのところに神社がある。 古い狛犬と平和祈願の石があり、次のような内容が記されている。 昭和20年8月13日、米軍艦載機から投下された爆弾の一つが桂川で爆発し、その爆風は一.五トンの石をふき上げたが、石は厄王大権現の霊験によって当山地先に落下し、町民はあやうく難をまぬかれた。当時落下したこの石を、平和祈願の石と名づけここに安置したものである。 |
信号大月橋東詰に小さな祠と常夜灯、道標が3基建っている。 道標には、「右甲州道中 左富士山道」 と彫られている。 |
街道を進むと左手に下花咲一里塚跡があり、庚申塔、馬頭観音、芭蕉の句碑がある。 ここは日本橋から24番目24里のところにある。 |
本陣跡 | 道祖神 | 笹子川 | 真木諏訪神社 | |||
建物前には、「明治天皇花咲御小休所」、「本陣」 の石碑がある。 星野家は、甲州街道・大月宿の西隣にある花崎の名主を務めていた旧家である。江戸時代には、甲州勤番をはじめ大名や幕府の役人が宿泊したが、天保6年(1885年)の火災で焼失し、その後、再建された。主家・籾蔵・味噌蔵・文庫蔵が昭和51年、国指定文化財に指定され、御座所を残している。 |
中央自動車道大月インターチェンジの前に道祖神がある。 | 国道20号線の脇を流れる笹子川。 この辺は、田園があり、山が近くにあり、何とも懐かしい風景である。 |
笹子川に架かる真木橋を渡って400mほど行った右側に真木諏訪神社がある。 本殿は文政年間(1818-29)の建立という。正面の新しい屋根は本殿を保護した建物である。 |
源氏橋 | 甲州砕石㈱ | 聖護院道興歌碑 | 下初狩本陣跡 | |||
真木諏訪神社から600mほど行った左側に国道20号線から甲州古道へ渡る源氏橋がある。 橋から笹子川上流方向を見るとJR中央本線に沿って田園が広がっている。 |
甲州古道は、甲州砕石㈱の脇を通っている。 この会社を過ぎてその先の㈲甲州運輸の前には、道祖神と石の祠が並んでいる。 |
第七甲州街道踏切に途中で折れた跡のある聖護院道興の歌碑が建っている。 1806年に建立したものであり、道興が1487年にこの地を通過する際に帰雁が鳴くのを地名にちなんで詠んだもので、「今はとてかすみを分けてかえるさにおぼつかなきやはつかりの里」 と刻まれている。 |
聖護院道興歌碑から200mで国道20号線に合流する。ここが下初狩宿である。 初狩駅前交差点のやや手前に下初狩本陣跡がある。 庭の前には、山本周五郎生誕地の碑も立っているが、屋敷が生家ではなく単に初狩生まれという記念碑のようである。 この2軒先の民家の庭先には、常夜灯と石碑が建っている。 |
宮川橋 | 芭蕉句碑 | 中初狩本陣跡 | 石塔群 | |||
初狩駅前を過ぎて、宮川橋を渡ると中初狩宿である。 ここは山が近くに迫り富士山が見えにくところだが、この橋からは富士山の頂が見えると言われ、「宮川橋の一目富士」 といって昔から旅人に評判だったという。 捜してみたが、富士山の頂は望むことができなかった。 |
初狩小学校の前に芭蕉句碑が建っている。 「山賊の頤とずる葎哉」 (やまがつのおとがいとずるむぐらかな) と刻まれている。 山賊(猟師や樵)が葎(夏草)が茂る中をおとがい(下顎)をしっかり閉じて穂先が口の中に入らないように歩いてる様を詠んでいるとのこと。 |
中初狩宿は、下初狩宿と合宿であった。 初狩小学校から300mほど行った初狩新聞センターのちょっと先に本陣跡がある。 明治天皇御小休遺跡碑が建っており、ここが中初狩小林本陣跡である。 |
この少し前に首塚があったが入らずに先を急いだ。 石塔群の隣には、常夜燈も立っている。 |
御舟石碑 | 白野宿入口 | 白野宿の家並み | 宝林寺 | |||
舟石橋を越えたところに 「御舟石所在地」 と刻まれた御舟石碑が建っている。 この傍には、「御舟石所在地は従是東三十間余」 と刻まれた道標がある。 |
国道20号線から右に入って行くと白野宿である。 集落に入って直ぐ、民家の前に 「庚申」 と刻まれた石碑がある。、 |
白野宿は、先の阿弥陀街道宿、黒野田宿の合宿であった。 旅籠風の家屋が両側に立ち並んでおり、とても静かで 「ひなびた街道」 といったところ。 |
立派な山門が建っている。 この右側のお宅が天野脇本陣跡だったとのことだが、形跡はない。 また、この先の大西酒店の隣の家が、今泉本陣跡らしいが、これも形跡はなかった。 道は再び国道20号線と合流する。 |
立石坂の立石 | 稲村神社 | 親鸞聖人念仏塚 | 葦池碑 | |||
国道20号線からすぐに旧道へ入るが、中央本線のガードしたに木柱が立っている。 立石があるのか捜したが、石は見つからなかった。 後で調べるとガードをくぐる手前の線路沿いに立石があるようだ。岩殿山の山姥の石の右杖で、折れたのでここに捨てたとか、色々な伝説があるようだ。 |
中央本線のガードを潜って1㎞ほど登って行くと稲村神社がある。 境内には、根元から三本に伸びた大木、石の祠、男根女陰を表す合体道祖神、馬頭観音をはじめとした石塔などがたくさんある。 |
稲村神社の前には、親鸞聖人の念仏供養塚があり、たくさんの石塔が並んでいる。 手書きの説明書きによると、葦ケ窪地頭小俣左衛門尉重澄の娘 「よし」 が、京から来た修行僧に心を寄せたが、思いは通じることなく、葦ケ窪に投身し、蛇身となり大沼に住み、夜な夜な出でて里人を悩ました。 そこで親鸞の法力で教化したという。 |
畑の中に先ほどの伝説が伝わる 「葦池碑」 が建っている。 |
笹一酒造の大太鼓 | ||||||
葦池碑から中央本線のガードを潜ると、また国道20号線と合流する。 合流してから1㎞ほどで笹一酒造に着く。酒造に入るとまず、世界平和太鼓と名付けられた、口径が4.8mもある大太鼓が目に入ってくる。 ここで、ワインなど買って笹子駅から帰ることにした。 |
平成25年7月14日(日)☀ 笹子~甲斐大和 11.5㎞ |
ここ一週間暑い日が続き、勝沼では39.5度を記録しているため、峠を越えたら相当厳しいだろうと覚悟を決めて行くことにした。今回は、友人が一緒に行ってくれることになった。新宿発5:50の高尾行きに乗ったが、朝帰りの客の多さにびっくりしながらも座って高尾駅まで行くことができた。高尾駅での乗り換え電車は、小淵沢行きのためか登山客も多く満席状態で座ることは出来なかった。7:56笹子駅に到着したところで、水を補給し出発。 |
笹子駅前 | 笠懸地蔵 | 本陣跡 | 普明院 | |||
駅前には、笹子隧道記念碑が建っている。 笹子隧道は、全長4,656mで明治29~35年(1896~1902)にかけて完成した。 |
笹子駅から600mほどの街道左側、火の見櫓の下に笠懸地蔵が立っている。 手書きの説明板があり、それによると 「七公三民の重租税と天保の大飢饉に苦しむ農民が、「苦を減らしたい」 の思いを込めて創建した笠懸地蔵である」 とのこと。 |
笠懸地蔵から2軒先に旅籠風の家屋があり、脇には古い門が残っている。 また、門前には 「明治天皇行在所跡」 の碑が建っている。 ここが黒野田宿である。 |
本陣跡から200mほど先の黒野田橋を渡ると、「普明院」 の前に出る.。 門前左に 「一里塚 黒野田」 の木柱が建ち、門の右側に 「日本橋より25里」 と刻まれた石碑が建っている。境内には、芭蕉句碑、いくつかの古い石地蔵、最近の六地蔵などが安置されている。 |
馬頭観音 | 御留坂の道標 | 道標 | 道標 | |||
笹子川に架かる屋影橋を渡って間もなく左側に大衆食堂しらかばがあるが、その反対側の木の下に隠れるように馬頭観音が建っている。 |
馬頭観音から300mほど上ったコスモ石油ガソリンスタンドのちょっと先のバス停 「公民館前」に並んで建っているのが、安政3年(1856)と刻まれた常夜灯と石像、その隣に何なのか不明な木箱が建っている。 この辺で、おにぎりを買って行こうと思っていたが、事前に調べた店は、早朝で開いていないし、閉店になっているところもあって、駄菓子をわずかに置いている店で飴と菓子を買って行くこととした。 |
国道20号線の左側に矢立の杉まで4Kmと書かれた道標がある。 ここで、我々を待っていたように車から降りてきた年配のおじさんが話しかけてきた。矢立の杉の保存会の方で現地で説明を行っているそうで「先に行って待ってます」 とのことだった。 |
国道20号線を左に折れて、㈱石本興業の脇を右に入って行くところに、この道標が建っている。 分かりずらいので見落としてしまうところだった。ここから先は、林の中を歩くことになる。 |
旧古道 | 道標 | 明治天皇御野立所跡碑 | 矢立の杉 | |||
道標から100m行くと写真のような林道となる。 | ㈱石本興業脇の道標から2㎞弱のところで、一度舗装道路に出て、再びこの道標 (矢立の杉まで800m) から林道に入る。 | 途中せせらぎに架かる木の橋を渡りながら進むと右手に開けた空き地が現れる。 ここは三軒茶屋跡で明治天皇御野立所跡である。 広場の角地には、欠けた石像があったが、母親が子供を抱いているように見える。 |
明治天網御野立所跡から7~8分であろうか、目の前に大きな杉の木が現れる。 この杉は昔から有名なもので、武者が出陣にあたって矢を杉に打ち立てて武運を祈ったところから、「矢立の杉」 と呼ばれてきた。 先ほどの保存会の方の説明では、ここにある身代り両面地蔵菩薩は、杉良太郎が芝居に出てくる地蔵をこの地に奉りたいとの思いで寄贈したものとのこと。台座には、「自分のために生きる虚しさ 人のために生きる幸せ」 と刻まれている。 |
笹子隧道 | 笹子峠 | 天神宮 | 峠道から県道へ | |||
矢立の杉から暫く登ると県道に出る。 その県道を700mほど行くと登録有形文化財になっている笹子隧道ぶつかる。 隧道を覗くと、反対側の出口が見える。 道路の右側に看板が建っているが、更にこの右側に笹子峠への登り口があり、入り口には 「この付近にクマ出没注意」 と警告表示板が立っている。 |
笹子隧道から8~9分ほどで木の道標が建っている笹子峠に着く。 ここは、八代、都留の二郡の境で標高1096mの甲州街道中の最難所である。 午前10時35分に笹子峠に到着し、ここで暫し休憩をとり、友人が持ってきたおにぎりをほおばる。感謝である。 |
笹子峠を降りはじめて直ぐ、右側に赤い鳥居のある天神宮がある。 木柱には、「笹子峠を往還する人や馬の無事を願うために江戸時代から祠があったところ」 と書いてある。 |
天神宮から10分弱でいったん県道に出る。 県道に出る直前に一部欠けた石仏が安置されている。 |
再び山道へ | 甘酒茶屋跡 | 丸太橋 | 馬頭観世音菩薩の木柱 | |||
県道を横切ったところに 「甲州街道峠道」 と書かれた道標が建っている。 |
県道から5分も下ると甘酒茶屋跡の木柱がある。 甲州古道は、この木柱の裏側を通っている。木柱には、「江戸時代、笹子峠を往来する人々の憩いの場所として休憩所を 設け、甘酒などを売っていた所」 と書かれている。 |
甘酒茶屋跡から17~18分も下ると写真の丸太橋を通るが、途中にはいくつかの道標がある。いまにも倒れそうなものや、地面に置かれたものもある。 また丸太橋もいくつかある。 |
丸太橋から5分ほど下ると左手に 「馬頭観世音菩薩」 の木柱がある。 この場所の右側は、石垣が崩れたような跡がある。 |
道標 | 桃の木茶屋跡 | 駒飼宿本陣跡 | 養真寺 | |||
馬頭観世音菩薩から程なく緑の道標がある分岐に出る。 道標は下から登ってくる人が見た場合に写真のように見えるので、我々は左側から下って来たことになる。 自害沢とは何とも不気味である。また、自害沢天名水となっているが、県道に出るところにある看板をみると自害沢と天名水は別物であるようだ。 |
県道に出て5~6分も下ると道路右側に桃の木茶屋跡の木柱が建っている。 木柱には、「甲州街道の往来が盛んなころ、憩いの場所としての茶屋があったところ」 と書かれている。 往時は、三軒の茶屋があったという。 |
桃の木茶屋跡から3㎞ほど下ると駒飼宿に着く。養真寺のある辺りの道路左側の民家の庭先に駒飼宿本陣跡の木柱が建っている。 この直ぐ後ろには、明治天皇御小休所跡碑が建っている。 また、近くの空き地には脇本陣跡の標柱も建っている。 |
宿場と山の間にへばり付いた小さな寺である。 参道には、萬霊塔が並び、境内には、石仏が4つあり、一つの石に六地蔵尊を彫ったと思われるものある。 また石仏の隣には、新しい句碑があり、「武田家の無念の終焉しのびつつ松姫桜植うるなり」 と彫られている。 |
石塔群 | 馬頭観世音 | 諏訪神社 | 甲斐大和駅前 | |||
駒飼宿から大和町日影に出るあたりの角地に石を積んだだけのような地蔵尊をはじめとした石塔が並んでいる。 | 国道20号線と合流した横断歩道橋の脇に馬頭観音碑が建っている。 | 甲斐大和駅に向かう途中にある諏訪神社で、境内には本殿、拝殿、随神門と神木の朴ノ木、甲州街道の三本杉の一つに数えられていた巨木の切株が保存されている。 |
甲斐大和駅前には、武田勝頼公の像が建っている。 織田・徳川連合軍の戦いで天目山棲雲寺を目指したが、山梨県甲州市(旧大和村)の田野で最後を迎えたことからこの地に建立したものである。 |