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大山街道   (新町線


平成31年1月18日(金)   ☀    三軒茶屋~用賀追分    3.0㎞
今回は、大山街道の新道を歩くこととした。まずは三軒茶屋から用賀までの道で、文化・文政期(1800年代前半)に開通したと言われ、後にこの道が大山街道の本道になった。

大山道道標 国道246号線 伊勢丸稲荷大神 地蔵尊
三軒茶屋交差点のY字路中央に、寛延2年(1749)に建立され、文化9年(1812)に再建された大山道道標が建っている。この道標は、旧大山道(代官屋敷前経由)と、文化・文政期ころに開通した新大山道(桜新町経由)との分岐にあった石橋楼の角に建てられていた。
道標には、正面に 「左相州道、大山道」、左側面に 「右富士・登戸・世田谷道」 と刻まれている。
大山道道標から先は、国道246号線を進んで行くが、頭上には首都高速3号線の高架が通り、街道の面影は全くない。 300mほど進むと、左手の草部うどん 「のらや」のところから、左に旧道が残っている。
旧道に入って間もなく、右手に伊勢丸稲荷大神がある。当神社は境内にある石碑によると、江戸時代初期に上馬にあった小祠が始まりのようである。境内には大山道と刻まれた力石、嘉永元年(1848)の手水石などがある。
直ぐ先でやや広い通りを渡り先に進むと、左手に正保2年(1645)の地蔵尊が安置されている。

宗円寺 庚申塔 旧道口 善養院
地蔵尊の直ぐ先で国道246号線に合流し、その先で環状7号線(都道318号線)の上馬交差点を渡ると、左手に曹洞宗の八幡山宗円寺がある。宗円寺は、慶長元年(1596)の創建といわれ、創立当時は小さな草庵であったが、寛永10年(1633)に喜山正存和尚が中興した。境内には延享元年(1744)の地蔵菩薩立像、明暦4年(1658)の三猿を刻んだ庚申塔、寛文2年(1662)の観音菩薩像などがある。 街道に戻って600mほど先の横断歩道橋を渡って街道の右側に出て進むと、駒沢交差点の先の右手筋角に庚申堂があり、中には風化が進んだ庚申塔が2基安置されている。 庚申堂の先の新町一丁目交差点から国道246号線と分かれて、右手に旧道が西に向かっている。 国道245号線と分岐して250~60mほど進むと、左手に曹洞宗の家岳山善養院がある。
善養院は、家嶽善養庵主が開基で、明壺麟鏡和尚が開山創建と言われているが、詳細は不明である。
本尊は如意輪観音像であり、境内には釈迦堂、青銅製の聖観世音菩薩立像などがある。

久富稲荷神社 桜神宮 サザエさん像 サザエさん通り
街道に戻って150~60mほど進むと、左手に久富稲荷神社の鳥居があり、250mほどの長い参道の先に久富稲荷神社がある。
久富稲荷神社の創建年代等は不詳であるが、京都の伏見稲荷大社より宇迦能御魂命を勧請し、江戸時代からこの地の鎮守社であった。
境内には、ふくろう像を祀ったふくろうの社、神楽殿などがある。
街道に戻って先に進むと、右手に古式神道を受け継ぐ桜神宮がある。
桜神宮は、明治16年(1883)に東京市神田に創建され、病気治癒・火伏せの神として多くの参詣者があった。その後、大正8年(1919)に 「西の方角に移転せよ」 との神託により現在地に移転し、関東大震災や戦災から免れることが出来たという。境内には、願い事を書いた花帯を結んだ河津桜がある。
東急田園都市線の桜新町駅の近くには、サザエさん一家の像が建っている。 桜新町駅の先の左手筋は、サザエさん通りと呼ばれ、この通りを400mほど進んだところに、長谷川町子美術館があり、長谷川町子さんが描いた漫画作品や、当人が収集した美術品の数々が展示されている。
美術館に隣接する桜新町一丁目緑地には、サザエさん一家の像が建てられている。

地蔵堂 用賀追分 用賀神社
街道に戻って400mほど先に進むと、右手筋角に地蔵堂がある。
地蔵堂には、蓮座に据えられた地蔵菩薩立像が安置されている。
地蔵堂から200mほど先で右手に下る旧道があり、すぐ先で右手から来る古い大山街道と合流する。この合流地点に大山道追分碑(道標跡碑)が建っている。
かつてこの地に建っていた道標は、文政10年(1827)のもので、現在、世田谷代官屋敷の郷土資料館に保存されており、「左り世田谷四ツ谷道・右江戸道」 と刻まれている。
用賀追分の手前の細い左手筋を入り、道路を一本越えた左手段上に用賀神社がある。用賀神社の創建年代等は不詳であるが、元は天祖神社といわれ、合祀された宇佐神社は天正年間(1573-91)に鶴岡八幡宮より分霊を勧請したと伝えられている。境内には、神楽殿、稲荷神社のほか、幹にコブがある 「一福の松」 と呼ばれる松の木がある。