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戸隠神社


平成27年4月6日(月) ☁   長野駅 ~🚌~ 奥社入口・奥社・中社・宝光社・一之鳥居 ~🚌~ 長野駅   <歩き13.7㎞>
善光寺御開帳のついでに戸隠神社を参拝することとした。戸隠古道を歩くつもりで長野駅からバスに乗って奥社入口まで来たが雪が相当積もっていて、とても古道は歩くことができなかった。奥社入口から奥社までの参道は林の中の雪道を進んで行くのだが、立ち込める霧もあってとても幻想的で厳粛な気持ちにさせられた。

戸隠神社奥社入口 大鳥居 随神門 奥社院坊跡
長野駅からバスで戸隠神社奥社入口に着くと辺りは霧が立ち込め雪が1m以上残り、長野市内とは打って変わって、未だ冬の世界である。
参道入口には戸隠神社社標、常夜燈が建っている。ここから奥社までは約2㎞で40~50分の山道である。
奥社入口から雪道を進むと小川が横切っているが、雪解けのため水量が多く勢いよく流れていた。
鳥居の先は林に囲まれた参道が続き、とても静かで怖いくらいである。
雪の参道を進むと鬱蒼とした杉の大木の先に随神門がある。
随神門の手前に一対の狛犬が鎮座し、雪の中に常夜燈が建っている。隋神門の先は500mに渡って慶長17年(1612)に植えられた約200本のクマスギの並木が続いている。
随神門の先に奥社院坊跡がある。
ここは嘉祥3年(850)以来戸隠権現に奉仕した院坊の跡である。
明治維新後神社となり国有境内地となったため、ここに有った院坊は中社・宝光社に住居を移した。

常夜燈 注意看板 小屋 倒木
雪に埋もれた常夜燈の笠があった。
この辺りは法燈国師母公祈願観音堂跡であり、近くに標柱が建っている。
法燈国師母公祈願観音堂跡の先に 「キケン!雪崩の危険があります。これより先の進入はご遠慮下さい。」 と書かれた注意看板が建っていたが、ここまで来て引き返す訳にもいかず先に進んだ。 雪道を進むと左手に小屋の屋根から滑り落ちた雪がそのままの状態で残っていた。この辺りで残雪約2m弱といったところであろう。 奥社に近づいたところで雪のため倒木が参道を塞いでいた。
折れた木はかなり太いもので根元からポッキリと折れていた。

摂社の飯綱社 九頭龍社 奥社 県道36号線
奥社の手前左手斜面に奥社の摂社である飯綱社が雪に埋もれて屋根が少し見える。
飯綱社は忍術の修験道場だった飯縄山(飯縄神社)の神仏習合の飯綱大明神を祀っており、上杉謙信、武田信玄など戦国武将が信仰した戦勝の神である。このやや上に至誠碑などの石碑が建っている。
左手の雪の斜面に雪の侵入を防ぐ板で覆われた九頭龍社の拝殿が見えている。
九頭龍社は、奥社よりさらに創建が古く、戸隠神社の中で最古の社であり、地主神である九頭龍大神が祀られている。
雪に埋もれた奥社が辛うじて見えている。
戸隠神社奥社の御祭神は、天照大神が弟の須佐之男命の粗暴さを嘆き、天の岩屋に隠れてしまい世の中が暗くなった時、天の岩戸を開いた神力無双の神である 「天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)」 である。
鳥居も手水舎も狛犬も全て雪に埋もれていたが、とても神聖な場所であった。
奥社から県道36号線に戻ると霧が一層濃くなって幻想的な景色になっていた。
霧の県道を進んで行くと戸隠森林植物園入口、鏡池入口の看板が雪の中に建っていた。

中社 戸隠神社聚長旧徳善院 江戸屋 親鸞聖人旧跡
県道36号線を20分程下って来ると左手に中社の西側の鳥居が建っている。
中社は須佐之男命の度重なる非行に天照大神が天の岩戸にお隠れになった時、神楽を創案し、天の岩戸を開くきっかけを作ったという知恵の深い神である天八意思兼命(あめのやこころおもいかねのみこと)を祀っている。
境内には樹齢700年を超える御神木、樹齢800年を超える三本杉が立っている。
中社の右手の道に入ると戸隠神社聚長旧徳善院が建っている。
火災焼失後、文化12年(1815)に再建されたもので、茅葺屋根の厚さは1m半におよび、セガイ造りという積雪の多い戸隠ならではの建築様式となっている。境内には戸隠神社旧一之鳥居石柱が移設されている。
中社から下って来ると右手に竹細工の江戸屋が建っている。
冬の間に作ってストックしているという根曲竹を使った竹細工が所狭しと並んでいる。
更に下って来ると左手に旧行勝院があり、山門前に親鸞聖人旧跡碑と標柱が建っている。

丁石 納経供養塔 火之御子社 宝光社
手打ちそばの山口屋の角に 「五十丁」 と刻まれた丁石が建っている。
この石は一之鳥居より戸隠神社まで一丁毎に建てられた道標であるという。
更に下って来ると左手に大きな常夜燈に見える中社の納経供養塔が建っている。
これは高さ3.9mの石造供養塔で戸隠山別当堯瓊(ぎょうけい)が戸隠に奉納する大乗妙典書経が散逸することを憂えて中社広庭に建立したもので、廃仏毀釈により明治20年(1887)に移設されたものである。
霧が立ち込める県道36号線を下ると火之御子社の標示版が建っており、右手の段上に火之御子社がある。
火之御子社は、戸隠が神仏習合の時代にあっても終始神社としての姿を保ってきており、天の岩戸の前で神楽を舞ったという 「天鈿女命(あまのうずめのみこと)」 を主祭神としている。
火之御子社から更に下ると右手の石段を上がったところに宝光社がある。
宝光社の社殿は、戸隠神社五社 (奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社) のうち最も古く文久元年(1861)に建てられたものである。
境内には文化、文政、天保の常夜燈が建っている。

地蔵堂 馬頭観音 道標 男鹿沢
宝光社から少し下って県道76号線に入るとそばの里二番館の脇に地蔵堂があり、御堂には40~50体の仏像が合祀されている。
中央に白面の地蔵菩薩坐像が置かれ、右手に木造半跏地蔵菩薩と金剛夜叉明王が並び、周囲に木造の閻魔王と思われる仏像が安置されている。
右手の小さな地蔵堂には2体の地蔵菩薩坐像が安置されている。
地蔵堂の向かい側の県道76号線の段上には馬頭観音などの石碑が数基建っている
その奥は墓地になっているようである。
戸隠商工会館の駐車場の角に道標が建っており、「右宝光院御宮 左鬼無里 道」 と刻まれている。 道標の先で右カーブになり、男鹿沢に架かる男鹿沢橋を渡って行く。
男鹿沢は雪解けで水量が多く大きな音を発てて流れていた。

道標 大久保西の茶屋 一之鳥居跡
男鹿沢を越えるとY字路となり、ここで左の戸隠バードラインへ入って行く。
ここ先は林の中の一本道で時折車が通るだけの霧の中の静かな道である。左手の戸隠古道の入口に戸隠表参道の中社と宝光社の分岐を示す道標が建っており、「右ちゅういん 左ほうくはういん」 と刻まれている。
更に林の中の道を2㎞ほど下ると左手に大久保の西の茶屋がある。
西の茶屋を経営する小林家は、現当主で12代になるという。小林家の先祖(初代)は松代藩に仕え 「茶坊主」 の職にあり、慶長8年(1603)徳川幕府が戸隠一山を天領とし、松代藩の重役を幕府と戸隠一山との連絡役に当てた際、松代藩の茶坊主であった小林伊左衛門喜代七を、この重役の供の一人にしたことに始まるという。
少し下った一の鳥居苑地が戸隠参詣古道コースの入口である。
最初はここから奥社を目指す予定であったが、これほどに雪が残っているとは想像していなかったため、逆コースとしたものである。
今回はここで終了し、戸隠バードラインを走るバスで長野駅へ向かった。