大神は農業、漁業を始め広く殖産興業の基を開かれ国土開発、経営の大業を果たされた建国の大功神であります。故に古来より皇室を始め武家、国民の崇敬非常に篤く、特に農耕の神、漁業の神、武道の神、商業の神として広く信仰されております。
 当社の御創始は大同2年、坂上田村麻呂将軍が東夷征伐の砌、武運長久、海上安全を祈願し、勧請されたと伝えられ、以後、承平2年、下総国守大江維時(これとき)の社殿造営、元暦元年、源頼朝の社領寄進、文治元年、千葉氏の社領寄進、建久2年、東重胤(とうしげたね)の社殿造営、社領寄進がありました。
 享保2年、神階正一位に除せられ、明治42年郷社に列せられました。

 笹川(岩瀬)繁蔵は相撲の元祖野見宿禰の碑を建立すると共に農民救済を名目とし大花会を催した。
 上州武蔵の大前田英五郎、上州上野の国定忠治、奥州仙台の鈴木忠吉、奥州信夫の常吉、駿州清水の次郎長など天下に知られた親分衆多数が出席し、空前の盛会であった。

野見宿禰命(のみのすくねのみこと)碑の由来

天保水滸伝百三十周年記念碑

文字庚申塔

安永6年(1777)の常夜燈

伏見宮御祈願所碑

聖徳太子碑

参道

参道口の天保水滸伝遺品館

諏訪大神鳥居

左から十九夜塔、青面金剛の庚申塔、子安観音、万延元年(1860)の十九夜塔、青面金剛の庚申塔

諏訪大神由緒

天保13年(1843)の野見宿禰命(のみのすくねのみこと)碑

土俵

子安神社

神楽殿

神楽殿に掛かる神楽殿の扁額

諏訪大神本殿

拝殿に掛かる諏訪大神の扁額

手水舎

諏訪大神拝殿