南無遍照金剛
(稲荷山地蔵院と刻まれた合併前の東林寺寺標)

浅荷山林福寺由緒

 旧来、この林福寺は、浅間山普門院長福寺(古くは、浅間山慈眼院長福寺の記載もある)と言い、真言宗で、薬師如来を本尊とし、寺伝によれば、永禄元年(1558)12月の創立と伝えられる。境内の観音堂には、東庄六観音の一つ准胝観音が安置されていて、今でもなお、多くの人々に崇敬されている。この観音は、東氏初代の胤頼公の守護仏とも伝えられる御仏である。
 昭和32年(1957)、石出区字上通にあった稲荷山地蔵院東林寺を合併して、浅荷山林福寺と改名した。
 旧東林寺は、永禄2年(1559)11月、鹿野戸の妙幢院の僧弘道が創立したと言われているが、詳らかではない。
 東林寺は、柱から戸板まで柳の樹が用いられていたので一名柳寺とも言われていて、明治初期に、石出小学校創設の時には、仮教場となった寺である。本尊地蔵菩薩の胎内墨書には、大檀那として、千葉常胤の後裔である石出領主宏明の名と永和2年(1376)の北朝年号が記されている。
 合併された、東林寺も、長福寺も、ともに妙幢院を本寺とし、千葉氏、東氏と関係の深い寺である>
 (東庄町教育委員会)

林福寺山門

南無観世音菩薩

林福寺本堂

大乗妙典六十六部日本廻国供養塔(左)・寛政10年(1798)の文字庚申塔(右)

三界萬霊塔

薬師堂

文化5年(1808)の手水石

たくさんの如意輪観音が祀られている

安政4年(1858)の出羽三山碑

宝篋印塔

文字庚申塔

寛政12年(1800)の青面金剛塔

文字庚申塔

准胝観音が祀られた観音堂内陣

観音堂

観音堂の扁額