佐藤尚中先生は、文政10年(1827)に小見川町内内浜(現香取市)に小見川藩医う山口甫僊の次男(幼名を竜太郎、のちに舜海)として生まれました。嘉永6年(1853)佐倉順天堂の創始者佐藤泰然の養子となり、佐藤尚中と名前を改めています。先生は明治天皇の御典医を勤め、明治政府より大学大丞大博士大典医を贈られ、後に大学東校(現東京大学医学部)を主宰しました。さらに明治8年(1875)には広く民衆を医学で救済したいとの想いから東京湯島に私立順天堂医院(現順天堂大学)を開設しています。当時の日本に西洋医学を普及させるとともに幕末から明治初期を代表する優れた外科医でもありました。
産湯の井戸や記念碑が残る山口家の邸宅跡は、内浜公園として整備され、昭和12年に千葉県の史跡に指定されています。平成28年には 「北総四都市江戸紀行」
が文化庁の日本遺産に認定され、その構成文化財の一つに 「佐藤尚中先生誕生地」 があります。
佐藤尚中説明板
駅前ロータリー中央に建つ佐藤尚中像