中津藩士の墓
寛保2年(1742)豊前国(大分県)中津藩の家臣が帰国途中、今岡村付近で突然渡辺友五郎が牟礼清五郎に斬りつけ2人とも亡くなったため2人の遺骸は洞隣寺に埋葬された。ところが2人の生前の恨みからか、いつのまにか反対側に傾き、何度直しても傾いてしまうので、村人は怨念の恐ろしさに驚き、墓地を整理して改めてあつく葬ってからは墓は傾かなくなったといわれる。
めったいくやしいの墓
昔、洞隣寺の下働きに容貌は悪かったが気立てのよいよく働く娘がいた。ある時、高津波村の医王寺へ移ったところ、この寺の住職に一目ぼれした。しかし、青年僧は仏法修行の身であり娘には見向きもせず寄せ付けなかった。娘は片想いのため食も進まずついに憤死してしまった。洞隣寺の和尚はこれを聞いて亡骸を引き取って葬ったが、この墓石から青い火玉が浮かび上がり油の燃えるような音がしたり、「めったいくやしい」と声になったりして火玉は医王寺の方へ飛んで行ったといわれる。女の情炎の恐ろしさが語り継がれている。
庫裡
六地蔵尊
ダルマ石像
秋葉堂の白狐に乗った烏天狗(中央)
秋葉堂
洞隣寺本堂
地蔵堂
本堂内陣
墓の説明
中津藩士の墓(2基)、めったいくやしいの墓(右の小石)
行者堂 (中には閉ざされた厨子がある)
弘法大師作の地蔵菩薩を祀る地蔵堂内陣