天正年間、水野和泉守忠重、織田信長の為に御殿を構築す。東海道端南北52間、東西56間、土塀を築く域内に長11間、横6間鱗葺き一棟を建つ。
 寛永年間、松平主殿頭忠房、長15間、横8間鱗葺一棟、長7間、横2間半、柿葺風呂家一棟、長3間半、横2間柿葺廊下を増築す。徳川将軍上洛時の便殿と為す。(宿泊施設)
元禄12年(1699)震災のため倒壊す。

知立古城址碑

御殿址碑裏面

御殿址碑

明治天皇御小休所址碑

 築城年代は定かではないが、知立神社の神主永見氏の居館が知立城の始まりと言われる。
  戦国時代には刈谷城水野氏との関係を深め、今川義元に仕えるが、今川義元が桶狭間に倒れると敗走した今川軍を追った織田方によって落城した。