東海道
 池鯉鮒は江戸時代に東海道53次の宿場の一つとして指定されました。当時、池鯉鮒大明神(知立神社)が多くの人々の信仰を集めていたことに加え、馬市や木綿市があり、多くの人で賑わいました。かつて宿の中心には、宿駅業務を担う問屋場、大名・公家等の泊まる本陣、庶民相手の旅籠などがあり、旅人たちはここで旅の疲れを癒しました。

鎌倉街道
 江戸時代東海道が開かれる以前、人々は鎌倉街道を往き来しました。伊勢物語の中で、平安の歌人・在原業平がかきつばたの五文字を折句して詠んだ八橋には業平を偲ばせる史跡が今も多く残っています。
 また、鎌倉街道沿いの地域では多くの民話が残されており、現在に語り継がれています。そこには狐や狸など、可愛らしい動物たちが登場します。

知立神社
知立神社は、三河の二の宮で、まむし除け・雨乞い・安産の神として信仰され、隔年に行われる5月3日の知立まつり本祭には、山車文楽とからくり人形芝居が上演されます。正面の鳥居を過ぎると右手に国指定重要文化財の多宝塔があります。
 また、知立神社の御手洗池には、娘の目が治るようにと毎月神社にお祈りしたところ片目が治り、それから御手洗池の鯉が片目になったという昔話 「片目の鯉」 が語り継がれています。

池鯉鮒
 昔、ちりゅうは知立・智立などと書かれていました。東海道が整備され53次の宿場ができ、知立は品川から数えて39番目の宿となり 「池鯉鮒」 と書くようになりました。
 知立神社にはお祭りの際に神輿を洗う御手洗池と呼ばれる池があり、池には鯉や鮒が多くいたので 「池鯉鮒」 となったとも伝えられています。
 隔年5月3日の知立まつりで上演される山車文楽とからくりは全国的に有名で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 知立の松並木は、近年まで牛田町から山町まで約1㎞続いていたが、住宅が次々と建てられ今では約450m程になってしまった。戦前までは昼なお暗いほど老樹が鬱蒼としていたが、昭和34年の伊勢湾台風により60~70%の松が折られたり、根ごと吹き倒されてしまった。昭和45年に幼松158本を補植し、以後毎年松食虫の防除に努め、昔の姿を今に留めている。

東海道知立松並木碑

知立の松並木

双体道祖神

タヌキや馬のレリーフ

鯉のモニュメント

小舟に乗った狸の背に大根

鳥のモニュメント