江戸時代来迎寺村を初め、近村の牛田村、八橋村、駒場村、花園村、里村、今村、大浜茶屋村の八ヶ村が連合して、伊勢より御鍬神を勧請し各村輪番にて御鍬祭を奉仕し豊作を祈願してきたが、 明和年中(1764-71)この輪番が当村で終わることになったことから、社殿を造営し以後氏神と仰ぎ祀ったという。
  明治5年、村社に列格となり同6年現在の拝殿が造営され同時に宇西中畑に鎮座の山神社と字石田の鎮座の秋葉社と弁天社を境内に遷された。 その後、本殿は大正3年に神明宮を忠実に守って屋根は切妻造の杉皮葺、平入り素木造、一重の繁垂木そりなし、棟に千木、かつお木(五本)を置く神殿で、丁度伊勢神宮(外宮)の二分の一の大きさに造営された。

御鍬神社由緒

山神社・弁天社・秋葉社を合祀した境内社

御鍬神社鳥居

御鍬神社拝殿

幣殿奥の御鍬神社本殿

この蛸堂はもとの本社殿である。

御鍬神社本殿