鐘楼
永安寺とクロマツ説明
南無阿弥陀仏名号碑
西国三十三所観音
西国三十三所観音
西国三十三所観音
雲竜の松
雲竜の松全景
雲竜の松
山門
永安寺本堂
永安寺は、曹洞宗の寺院で、山号を本然山といいます。大浜茶屋村(浜屋町)の庄屋であった柴田助太夫は、街道の宿場町へ必要に応じて人馬を提供する助郷役村を村が命じられた際、村の窮状を訴えて免除を願い出たとる伝えられています。領主であった刈谷藩は、延宝5年(1677)に彼を死罪としましたが、その後、村の助郷役は免除となりました。村では、領主の代替わりごとに、この助太夫の一件を説明し、助郷役の免除は幕末まで続きました。
村の人々は、助太夫の厚恩に感謝し、彼の旧宅跡に草庵を建立したといわれます。草庵は後に寺として整えられ、彼の戒名である本然玄性居士と、妻の安海永祥大姉にちなんで、「本然山永安寺」と名付けられました。
一般に、マツの主幹は地面から垂直に伸びるのですが、このマツは高さ1.5mのところから北西、南、東の3方向に分かれて横に伸びています。この樹形が、雲を得てまさに天に昇ろうとする竜を連想させることから、「雲竜の松」と呼ばれています。樹齢から、このマツは助太夫のころからのものと考えられます。
安城市教育委員会
永安寺寺標
昭和6年(1931)の助太夫終焉地碑
地蔵菩薩
施主両茶屋村中と刻まれた文政4年(1821)の手水石
山門脇の厄除子安地蔵菩薩坐像