奈良時代に創建されたと伝えられる由緒あるお寺です。御本尊の薬師瑠璃光如来は17年に一度御開帳される秘仏として本堂に納められています。
 この寺に伝わる薬師如来縁起によると、尊像は和銅年間(708-15、奈良時代初期)に、(現在の宇頭南町にあった)神の御手洗御立笠取の池から光を放ってこの世に現れになった。この池に住んだ豊阿弥長者が念持仏とされたが、後に僧行基を開祖として和志王山薬王寺を創建され納められた。そして、子孫代々相続された。
 時は経って淳和天皇天長6年(829、平安時代)春に疱瘡が流行した。長者の子も重い疱瘡を病んだ。そこに、何処からともなく僧が現れた。瑠璃の壺から取り出した薬を子に含ませ、子の五体をさすると病は癒えた。僧は子が遊んでいた銭輪を貰い受け、首にかけて退出され忽然と消えられた。長者は薬師のご利益と気付き尊像をお参りすると、御首に銭をかけ、御身体には疱瘡の痕が残っていた。長者は、我が子の身代りになられた尊像をますます崇敬された。
 さらに時が経ち、天文18年の戦い(戦国時代、1549年にあった織田信秀と今川・松平の安祥城を巡る戦い)により寺が焼かれ、長者の子孫も絶えてしまわれた。
 元和2年(1616、江戸時代初期)4月、村人たちが豊阿弥長者らの墓を、この地に移そうとしたした際に、土中より御首に銭をかけた尊像を掘り出した。不思議なご縁を感じた村人たちは心を合わせ、御堂を造営した。このように記されています。
 なお、薬王寺本堂は、古墳時代中期の前方後円墳・宇頭大塚古墳の後円部に造られています。今は後円部以外は削られ、原形を留めていません。昭和34年岡崎文化財研究会の調査によると、その規模は、周濠を含めた全長約70m、後円部径約30mと推定されています。
 和銅年間にこの地に住まわれた豊阿弥長者は五十狭城入彦皇子(いさきいりひこのみこ)の子孫と伝えられています。古墳時代中期にこの地に勢力のあった皇孫の古代豪族の子孫が、奈良時代に和志王山薬王寺を建立されたと考えられます。古い歴史を持つ宇頭町の人々が先祖代々崇敬し、お守りしてきた町が誇れる文化財、それが薬王寺と宇頭大塚古墳です。

安永4年(1775)の常夜燈

文化8年(1811)の常夜燈

和志王山薬王寺解説

薬王寺本堂

薬王寺山門

この付近に室町後期の刀鍛冶集団の三河薬王寺派刀工が居住していた

新四国第四番弘法大師

三河国薬王寺刀匠鍛刀造趾碑