当時、岡崎藩水野忠之の芝中屋敷にお預けとなり、元禄16年(1703)水野家家臣杉源助の介錯で切腹した。

岡崎城四代城主 ・ 春姫(於波留)の父親

徳川家康が8歳の時、広忠の廟参の時に納めたものと伝わっている。

獅子頭の石

西郷弾正左衛門信貞の墓

赤穂浪士・矢頭右衛門七教兼の墓

清康夫人・春姫(於波留)の墓

松平広忠の父 ・ 岡崎城五代城主

徳川家康の父 ・ 岡崎城六代城主

松平清康の墓

早川休右衛門之墓(十六代当主)
早川久右衛門之墓(十七代当主)
岡崎藩主本多忠民に久姫様が誕生され、藩より 「久」 の付く人は改名するように御触れが出されたため 「久」 を 「休」 に改名しました。十四・十五・十六代が休右衛門を名乗りました。

初代岡崎城城主で享徳元年(1452)に岡崎城を築造した。

西郷弾正左衛門尉頼嗣の墓

松平広忠の墓

本堂内陣

六地蔵尊

大林寺本堂

早川家の墓