天正18年(1590)徳川家康の関東移封により、田中吉政が岡崎城主となり総堀を築き城下町としての整備をはかる。 慶長6年(1601)伝馬の制定により東海道の往来も激しく次第に殷賑をきわめるようになり寛文10年(1670)籠田総門が設けられる。 時は徳川泰平の世に移り町並はさらに整備され町内旅人のため要所に常夜燈が建立された。
  この常夜燈は寛政10年(1798)岡崎城下三番目のものとして石工、七左衛門作により籠田総門付近に建立され町内と旅人往来安全の灯として、市井の人々に愛され温かく守護され続けてきたものである。
  大正時代に旧市役所(現電報電話局)北側に移転し幸いにも昭和20年7月20日未明の岡崎空襲の災禍を免れ、 昭和25年戦災復興事業により整備された籠田公園の一角に再移転、さらに昭和56年4月籠田公園地下駐車場新設により装いも新たにこの地に再建された。 城下町交通の遺物として茲に後世のためその経緯を記すものである。
    昭和56年11月吉日  籠田町有志一同

籠田惣門付近にあった寛政10年(1798)の常夜燈

籠田惣門角常夜燈由来記