江戸時代の岡崎の町は東海道の宿駅として栄えましたが、市民病院跡地である若宮町の当所は、岡崎宿内の東端に位置する投町(なぐりちょう)と呼ばれた場所でした。
東海道の往還は、当所の南で欠村から宿内に入り、この位置で西方へと大きく曲がり、宿内の中心へと進みます。 その曲折点は岡崎城下二十七曲がりの一つに数えられます。
19世紀初頭の記録である 「享和書上げ」 によると、投町には総家数117軒とあり、綿打商、穀商、紺屋、豆腐屋、古手屋、莨(たばこ)屋、酒屋、小間物屋、綿商などの店が軒を並べていましたが、
なかでも茶屋が多くあり、茶屋で売られていたあんかけ豆腐の 「あわ雪」 は東海道往来する人に当宿の名物として賞翫されました。
モニュメント
石柱道標
岡崎城下二十七曲り説明碑
岡崎城下二十七曲
欠町より投町角 岡崎城東入口