脇本陣跡解説
藤川宿マップ
藤川宿脇本陣跡解説
藤川宿脇本陣跡碑
藤川宿は江戸地代の東海道の宿場の内、品川から数えて第37番目の宿場町であり、伝馬朱印状が慶長6年(1601)に発給された。 そのため、本陣・脇本陣・問屋場などが置かれ、東海道の交通を担った。
脇本陣は、本陣の予備にあてた宿舎で、大名や幕府の重臣が本陣に泊まる時は、その家老や奉行の止宿にあてられた。
平常は一般の旅行者にも使用が許された。 その経営については、本陣に次ぐ宿内有数の名望家が選ばれ、その敷地も、現在の跡地の四倍、約130坪(約450㎡)程の敷地を有していた。
現存する門は、関ヶ原の戦いの後に藤川へ居住したといわれる大西喜太夫(橘屋)のもので、一部修理も施されているが、昔日の名残りをよく留めている。
岡崎市教育委員会
藤川村道路元標
脇本陣石積みと塀
「脇本陣」 は、江戸時代 「本陣」 の補助的な役割として設けられた宿舎で、本陣に空きがないときは、本陣に準じて用いられていた。
「脇本陣」 を営むことができたのは、本陣家に次ぐ名望家で、江戸時代後期に営んでいたのは「大西喜太夫」 で、「橘屋」 と呼ばれていた。 入り口の門構えは、一般の家では構えることは許されず、「本陣」
「脇本陣」 だけに許された。 藤川宿はそれまで度重なる大火に見舞われているので、現在残っている藤川宿内では古い遺構である。
明治になって宿場の制度が廃止となり、その後、藤川村役場として使われ現在は 「藤川宿資料館」 となっている。 この敷地は、昭和53年10月に岡崎市の文化財に指定された。
藤川宿まちづくり研究会