称名寺は、岡崎市藤川町字中町南2・15合併地にある浄土宗の寺である。正式な名称は、山号を 「厳松山(がんしょうさん)」、寺号を 「柳田院称名寺」 と称し、浄土宗西山深草派の寺院である。
 当寺は寺伝によると、永禄11年(1568)の創建で、開山は法蔵寺第7世の貫主であった教翁洞恵上人とし、当初は当地字王子ヶ入に創立されたという。その後、天正18年(1590)、第3世・道空文中上人が徳川家康の関東転封にしたがって江戸に移ったため寺は衰微し、以後60年余が過ぎた正保3年(1643)に第4世・倍山無壁上人が寺を再興したとある。
 それから14年後の寛文2年(1662)、第6世・是空回隆上人の時、三河代官・烏山牛之助精明の命で、現在地に境内を受け、伽藍を移転、再建をして今日に至っている。烏山代官はその翌年の寛文3年9月に 「称名寺分田畑」 として3反3畝歩を除地として寺納している。
 当寺の本尊は阿弥陀如来坐像で、本堂中央須弥壇に安置されている。この像は永禄11年(1568)、同寺の本尊とされたもので、豊かな慈顔で流麗な衣紋をもった秀抜な乾漆像である。また、寺伝に登場する十一面観世音菩薩立像がある。木像で頭上に十個の仏頭を持ち、右手に念珠、左手に宝瓶を持っていて、豊かな肉付きで、自由な衣紋を表した優れた作品である。高さ86㎝で厨子に納まっている。寺の縁起から、当寺の創建当時の本尊と思われ室町期の作であろうか。
 この地、当寺には種々の建物及び由緒ある仏像、仏具、仏画が残っている。また境内には鐘楼、地蔵堂、鎮守堂、三十三観音石仏堂があり、三界萬霊塔(石製宝篋印塔)、武田成信墓、江戸ヶ崎源弥墓等がある。

称名寺由緒

武田信玄の弟武田成信の墓

三十三所観音菩薩

鎮守堂

慶應2年(1866)の地蔵菩薩坐像と聖観音菩薩が祀られた地蔵堂

手水舎

本堂に掛かる巌松山の扁額

本尊阿弥陀如来坐像が祀られた称名寺本堂

三界萬霊塔 (宝篋印塔)

鐘楼