徳性寺境内より登山道あり。
明治20年代に藤川宿の繁栄と弥栄を願い、当時としては先進的な発想のもとに、藤川宿の再度の繁栄を望み、当時の県会、郡会議員を務めた大西三郎次等々の有力者が、再び人を呼び込むため、観光事業を計画した。
明治20年代に発願し、30年代までの長き事業で完成した。
徳性寺山内より東の阿弥陀寺に降りる1.5㎞のコースで巡る八十八ヶ所です。戦前は全山に80余基のライトアップが施され、非常に昼夜をたがわず繁栄したとのことです。
初め、慶長16年(1611)長翁教安上人により山中郷市場に開創。
鳥山牛之助により、市場加宿と同時に現在地に移転(慶安年中)、そのまま影を残すこと400年余り、非常に文化価値のある建造物であります。
また、歴代住職の寺に対する心掛け厚く、常に保全に努力、また、境内では近隣にない立派な宝篋印塔もあり、往時繁栄ぶりが伺えます。
徳性寺の本堂の特色は、本堂の内装飾のすばらしさであります。かつて内陣の柱、天井周りには金箔の施した跡、移築以前の姿、また、欄間、梁等に施された阿弥陀来迎図、周囲を取り囲む天女、梁等に描かれた文様等の豪華さは近隣にはありません。
藤川で代表する民話として残る名稲荷。
創立は判然とせず不明であるが、江戸中期、正徳2年(1712)市場町が大半焼け野原となる大火が起きた。その数日前の夜、白狐が釣瓶を口にくわえ、町の棟を走って知らせたという。しかし、町民はその時気付かず、その忠告を悟り、以来祭神として崇拝している。
例年11月13日が大例日である。
現在に移転鎮座は、天保5年(1834)と記され、本来は明星院が祭主を務めていたようであるが、現在は徳性寺が務めている。
徳性寺(旧寺号得生寺)由緒
三河八十八ヶ所弘法巡り
藤川稲荷大明神
徳性寺稲荷大明神本殿
徳性寺稲荷大明神
手水石
鐘楼門 (延命の鐘)
本尊阿弥陀如来を祀る徳性寺本堂
本堂に掛かる大嵓山の扁額
台座に第一番と刻まれた弘法大師・如意輪観音
十三重塔
三界萬霊塔
三河弘法初打碑