毎年旧暦の八月に幕府から京都の御所へ馬を献上する慣例があり、その一行がいま、藤川宿にさしかかった様子である。献上の馬には御幣をつけ、役人たちは紋付袴を着て宿場の外れまで出迎えに行き、行列を前にかしこまっている。

 「棒鼻」 とは、宿場の出はずれ、すなわち出入り口のことである。東にあるので 「東棒鼻」 と呼んでいる。
 藤川宿に棒鼻が再現されたのは、東海道ルネッサンス活動の機運が盛り上がった平成元年である。なぜ、棒鼻が藤川に再現されたかというと、江戸時代の浮世絵師の歌川広重が東海道五十三次の藤川「棒鼻ノ図」に画いたからである。
 絵の中には、八朔(ハ月一日)の御馬進献の行列がちょうど藤川宿の棒鼻に差しかかるところで、辺りに境界を示す榜示杭、道の両側に石垣を積んで、土を盛った宿囲石垣を描いている。
 最近、明治20年ころ写された写真が見つかり、宿囲石垣が写っていたいたことから、その存在も認められた。
 とにかく、現在、藤川宿と言えば 「棒鼻」 と言われるぐらい藤川宿の象徴となっている。

東棒鼻説明

歌川広重の東海道五拾三次之内棒鼻ノ圖

赤坂へ二里九丁
江戸へ七十八里二十九丁

岡崎へ一里半
京へ四十六里二十七丁

道を挟んで左右に設置されている

再現された石垣のモニュメント

榜示杭 「従是西 藤川宿」

藤川道標

旧東海道標柱