徳本の南無阿弥陀仏名号碑と石仏
この地は、永禄3年(1560)5月19日、今川義元が織田信長に襲われ戦死した所と伝えられて、田楽狭間、あるいは館狭間と呼ばれた。
今川義元・松井宗信・無名の人々の塚があり、明和8年(1771)七石表が建てられた。文化6年(1809)には、桶狭間弔古碑が建立された。また、戦死者を弔って建てられた、おばけ地蔵・徳本行者念仏碑などがある。
(豊明市教育委員会)
今川義元仏式の墓
古戦場説明
桶狭間古戦場祭の幟が立つ
文化6年(1809)津島の神官氷室豊長が建てた記念碑である。
嘉永6年(1853)尾張藩士が建立しもので、地元では亡霊が現れると言われていたが、この地蔵尊建立後は現れなくなったという。
「士隊将塚」 と刻まれ、二号碑から六号碑まで、この一帯に建っている。
明和八年辛卯十二月十八日造
今川義元戦死の場所で 「今川上総介義元戦死所」 と刻まれている。
一号碑
七号碑
一号碑側面
桶狭(おけはざま)弔古碑
万延元年(1860)に建てられたもので、方形の石柱に笠と蓮花弁を模した台座がつく墓塔型式であり、そのため 「仏式の墓」 と呼ばれている。
おばけ地蔵
阿闍梨諦念墓