「べっぴん」 語源発祥の店 「丸よ」 説明

本陣跡説明

 明治初期に田原藩家老渡辺崋山の息子・渡辺小華の発案により 「すこぶる別品」 の看板を掲げ鰻を売り出したところ、大好評を得、その言葉が全国に広がってゆき極上品はすべて 「べっぴん」 と呼ぶようになって、そのあとの明治中期には美しい女性(美人)にも使われるようになりました。丸よはその伝統の 「べっぴん」 の鰻を今も焼き続けております。

 ここは江戸時代、清須屋東隣に江戸屋の二軒の本陣がありました。本陣とは各宿駅に置かれ、街道を往来する大名・幕府役人・宮家・公卿など身分の高かった人達が宿泊したところです。享和2年(1802)の書上によると東海道吉田宿には、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠65軒があり、ここ札木町あたりは宿の中心部として最もにぎわったところでした。

吉田宿本陣跡碑