華陽婦人画像
 戦国時代、吉田藩主であった酒井忠次の夫人光樹院(碓井姫)が、生母華陽院の菩提を弔うために画かせた肖像画

牧野古白母堂画像
 龍拈寺は、大永年間(1521-27)に当時の今橋城主牧野信成が亡父古白の追善のために建立した寺と言われている。
 この画像が所蔵されているのは、このためと思われるが、伝承も文献も残されていない

 龍拈寺は吉田山と号し、大永年間(1521-27)ごろ休屋宗官和尚の代に、吉田城主牧野信成が父古白追善のため創立したと伝えられ、吉田三ヶ寺に列せられる当地方屈指の大寺院として栄えました。これら諸堂宇は宝永4年(1707)の大地震で傾倒したのち再建・修復されましたが、第二次世界大戦中の空襲で山門だけを残して全焼しました。
 山門は、元禄6年(1693)住持となった法運義官和尚の代に建立され、その後、宝永の大地震により傾いていたものを修復したと伝え、昭和の戦火にも類焼を免れた当寺唯一の江戸時代の遺構です。この山門は、単層・切妻造・桟瓦葺の四脚門で、軸組に欅材を用いた唐様(禅宗様)を主に、随所に配した絵様、繰形の一部には天竺様(大仏様)の手法も折衷されており、構造や意匠の奇抜さに特色が見られる市内でも数少ない江戸時代の建造物として貴重なものです。
 現在、正面虹梁上に月舟宗胡(1618-96)の 「吉田山」 の額が掛けられていますが、この額の背後の虹梁上の羽目板にも 「吉田山」 の刻字があり、月舟筆の額は他の堂宇もしくは前身山門に掛けられていたものを後世になって現山門に取り付けたものと解するのが妥当のようです。

龍拈寺山門説明

般若心経十万巻塔

慰霊塔

煙草商標之記碑

開山500回大遠忌記念燈籠

聖観音像

大楠

箸塚

本堂内陣

龍拈寺本堂

内陣に掛かる大悲殿の扁額

薬師堂内陣

龍拈寺の指定文化財

享和2年(1802)の石経供養塔

大乗妙典一千部供養塔

豊橋市指定有形文化財の龍拈寺山門

山門に掛かる吉田山の扁額

薬師堂