法蔵寺(二村山浄土宗西山宏太朗)
 大宝元年(701)僧行基の開創といわれ、法相宗出生寺と号したが、至徳2年(1385)京都円福寺龍芸教空上人により、浄土宗に改め法蔵寺と改称した。浄土宗三河三壇林の古刹である。松平氏初代親氏をはじめ、代々の松平氏の帰依深く、諸堂宇を寄進されている。また勅願所、足利義教の祈願所ともなっている。
 近世は家康公御手習いの寺として、江戸期を通じて門前下馬を与えられた。慶應4年(1868)新政府に提出した高取調帳には朱印高88石余(本宿村79石余、鉢地村9石余)と報告している。本堂は嘉慶2年(1388)松平親氏建立、明治10年(1877)に改修された。
寺内史跡
六角堂 寺伝によれば弘法大師建立とある。本寺聖観音像は平安末期の作と言われている。嘉慶2年(1388)龍芸が再建した。堂内安置の六観音像もこの頃の作である。
東照宮 創建は江戸前期。本殿入母屋造り、銅板葺。現存の石造物は、旗本大御番組番士の寄進である。神額「東照宮」は寛政12年(1800)代官富田群蔵の願いにより神祇伯白川雅寿王の染筆である。現本殿は、平成11、12年に修復された。
その他 草紙掛松、賀勝水、松平家霊廟、三方ヶ原忠死者の墓、県内指定文化財、天然記念物、寺宝等がある。
近藤勇首塚 新選組隊長近藤勇の首塚である。台座には土方歳三始め11名の隊士名が刻まれている。
本宿陣屋跡 元禄11年(1698)旗本柴田出雲守勝門(3500石柴田勝家末裔)が知行所支配のため設けた。以後明治に至るまで存続した。陣屋代官は本宿富田家が代々就任していた。
一里塚跡 南塚、北塚とも榎が植えられていた。宿村大概帳によれば江戸方77里余、京方47里余、赤坂1里9町、藤川1里とある。
その他史跡 高札場跡、本宿村道路元標、旧本宿村役場跡、蘭方医宇都野家長屋門、並木松。
  国道1号本宿地区東海道ルネッサンス事業委員会・郷土史本宿研究会

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本宿の歴史と文化をたずねて

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