長沢は東西三河の境目にあり、両側から山が迫る地形で、中世において戦略上重要な位置であった。東海道を挟んで南(御城山山頂)に岩略寺城跡、北(古城団地)に長沢城跡がある。
長沢城は東西約200m、南北約250mに及ぶ大規模なもので、主郭の前面を土塁や三重の堀が巡り、南側に出入り口があった。現在は宅地化されて、堀の一部をわずかに残すのみである。
また、寛永11年(1634)家光上洛のときに休憩所として建てられたといわれる御殿が長沢小学校敷地内にあった。
(豊川市教育委員会)
長沢城跡説明
かなり大きな城であったと分かる
音羽川沿いの屋根が歪んだ旧家