文永9年(1272)派祖証空善慧上人二世法孫円空立信上人の創立された浄土宗の寺である。
むかし弘法大師がこの村の霧山あたりへ廻ってこられた時、麓に住む藤原なにがしと言う者が涙ながら大師に訴えた。手の中の玉のように可愛いがっている一人息子が盲であるのを大師のお力でなんとか治していただきたいと言うのである。そこで大師は一体の大日佛をきざみ、これにお祈りするがよいと教えられた親子のもの心を込めてその像にお願いしたら息子の両眼がたちまち開いた。
享禄(1530)まで何事もなかったが、この年、山崩れがあって寺も残らず流されてしまった。
ところが、その後しばらくして村の岡前部落あたりの地中から毎夜不思議な光が出て、しかもその光は栄善寺の方を差す。そこで村人たちが山崩れのあとを掘り返して見ると大日如来像が出てきたので、再建していた栄善寺へ納め、いよいよ信心を深め供養することとなった。
当寺参道の自然石石段は平安様式といわれ、本堂も二層式で大変珍しいと言われる。
大永山栄善寺由緒
梵鐘のない鐘楼
正徳3年(1713)の大日如来と刻まれた手水石
平安様式と言われる参道石段
本堂に掛かる大永山の扁額
栄善寺本堂
寛政10年(1798)の馬頭観音
馬頭観音
役行者像
阿弥陀如来坐像
石塔 (神社らしい)
阿弥陀如来(左) ・ 役行者(右)
南無阿弥陀仏名号碑