寺伝によれば、浄泉寺はもと真言宗浄教寺と称し、赤坂町西裏の山稜にあったといいます。その後、京都の浄土宗西山深草派総本山請願寺53世中興開山教山善誉上人(長沢の松平親常の子)が故郷に帰住するに際し、天正16年(1588)に阿弥陀仏を安置し、浄土宗浄泉寺を興したと伝えられています。
 山門を入った右手には、寛文9年(1669)再建の薬師堂、境内左側の観音堂には百観音と呼ばれる石仏が並び、赤坂の古い歴史を今に伝えています。
 また境内には、大きなソテツの木がありますが、歌川広重の浮世絵 「旅舎招婦ノ図」 に描かれたソテツとも伝えられています。
 (豊川市教育委員会)

このソテツは、広重の東海道53次の内赤坂 「旅舎招婦図」 に画かれたソテツである。

蘇鉄(ソテツ)

境内社

鐘楼

西国三十三所 ・ 坂東三十三所 ・ 秩父三十四所

浄泉寺山門

山門に掛かる玉済山の扁額

浄泉寺本堂

浄泉寺由緒

供養塔

西国三十三所 ・ 坂東三十三所 ・ 秩父三十四所

百観音

百観音

如意輪観音 ・ 阿弥陀如来 ・ 聖観音

薬師堂内部は格子扉に覆われている

御堂に掛かる薬師堂の扁額

寛文9年(1669)再建の薬師堂