御油宿は、慶長6年(1601)徳川家康によって、東海道に宿場制が定められ、東海道五十三次の第35番目の宿場として繁栄しました。
ここから東の、かつての上五井、中上町、仲町、横町、茶屋町と呼ばれたこの通りぞいには、今でも宿場町の面影を残す旧家がみられます。
また、この御油宿と隣の赤坂宿との間には、慶長9年(1604)に整備された御油の松並木があります。 昭和19年に国の天然記念物に指定され、「日本の名松百選」
にも選ばれています。
御関札とは、諸藩の大名が参勤交代や何らかの用事で出向く際、宿泊先(御休先)となる宿場の本陣や問屋(町役人)に 事前に申し伝え、宿泊当日の三日前迄に本陣、町役人は宿場の出入り口に縦3尺半(約1m)、横1尺半(約45㎝)の板に
宿泊年月日・藩主名・出向く先を記入し、長さ3間半(約6m)の太い竹竿に取り付け立掛けられた看板を言います。
御関札は、大名の権威を誇示するばかりではなく、本陣前を往来する人々に無礼のない様、通行するように注意を促す目的を持って 立掛けられた看板と云われています。
此の御関札案内板は、当時御油宿・問屋役人井上興左衛門の 「御定宿之控」 の記録より作成したものです。
御関札立掛場跡説明
御油宿と御油の松並木周辺案内
関札 「松平丹波守宿」