御油宿説明

イチビキ㈱の蔵

 御油宿は、江戸時代に徳川家康によって整備された江戸日本橋から京都三条大橋を結ぶ東海道の35番目の宿場です。 次の赤坂宿とは御油のマツ並木(国指定天然記念物)を挟んで、わずか16町(約1.7km)と東海道の宿駅間では最も短い距離です。 当初、両宿で一宿分の役割を果たしていた時期もあったようです。
 天保14(1843)年頃の御油宿の家数は316軒で、本陣が2軒(元は4軒あったが、うち2軒は天保4年の火事で焼失)、脇本陣はなく、旅籠は62軒でした。
 この場所は、本陣鈴木半左衛門家跡地です。
 本陣とは、参勤交代の諸大名をはじめ、宮家・公家・幕府役人などが宿泊する施設であり、原則として門・玄関及び上段の間を備えるなど、庶民が利用する旅籠とは 異なっていました。
   豊川市教育委員会

判読できない石碑