そもそも薬師瑠璃光如来の其の由来をたづね奉るに往昔尾州熱田の何某主君のため亡命す二女あり。 當国に来りこの国府の郷に住居したるが、 ほどなく母世を去りしかば、二女悲嘆のあまり双親菩提のため佛像を建立せんと欲す。
時に行基菩薩熊野山へ参詣ましますとて彼の二女の家に止宿給ひおれば、夜もすがら件を語りけるに菩薩も不便とおぼし召さばや東雲とおぼしき頃、西の方を眺むれば、 岩砂理山の西露喰山の東切通しと云へる所に古木の杉の末葉に紫の光をなし、菩薩も不思義とおぼして彼の木を取りよせ、佛像をきざみ奉りて二女に給いければ、有難く朝暮礼拝供養し奉りて當山を建立し、安置し奉る所の肖像なり。
よりて寺号を二子寺と云い傳う事疑なし、又切通しを薬師山と古今云い傳うなり。峯に登り西の方を眺むれば、漫々たる青海原伊勢あまてらします御神の御鎮座まで拝せられ、その殊勝なる事、言語に述べがたく峯のあらしと法の声本覚真如の月輪は、生死長病の闇をてらし給う事、これまことに菩薩の衆生化益なりと云う。
昭和56年11月
岩をくり抜いた手水石
宝珠を持った地蔵菩薩
薬師堂
中央に厨子が安置された薬師堂内陣
薬師堂に掛かる瑠璃殿の扁額
三河国府中二子寺 薬師如来畧縁記