子断が橋ともいわれ、明治時代には 「小田橋」 と書いてあった。
 およそ一千年前菟足神社には、人見御供があり春の大祭の初日にこの街道を最初に通る若い女性を生贄にする習慣があったと伝えられている。
 ある年のこと、贄狩に奉仕する平井村の人の前を若い女性が故郷の祭礼と父母に逢う楽しさを胸に秘めて、 暁の街道を足早に通りかかり橋の上まで来た。見ればわが子である。
「ああいかにすべきか」 と苦しんだが、神の威光の尊さに 「子だが止むを得ん」 と、遂に生贄にして神に奉った。
  それからこの橋のことを、子だか橋と呼ぶようになったということである。
 現在、菟足神社では、十二羽の雀を贄に替えておこなわれている。
    豊川市教育委員会

子だが橋説明

子だが橋碑