脇本陣説明

 脇本陣は本陣の利用が重なった場合、その補助的な役割を果たしました。その格式は本陣に次ぐものであり、本陣と同様に、その経営は宿場の有力者があたり、二川宿の脇本陣は松坂家がつとめていました。
 文化4年(1807)以前には、この地に後藤家・紅林家の本陣がありましたが、文化4年、本陣職が紅林家から馬場家に移った際に、本陣建築のため、もと街道の南側にあった脇本陣は、この地に移りました。
 脇本陣の建物は、間口7間(約13m)、奥行19間(約35m)、畳数は93畳でした。