古来より交通の要衝であった二川宿は、慶長6年(1612)、江戸幕府による街道整備にともなって宿駅として設置されました。
設置当時は、二川村と大岩村の二か村で一宿分の業務を行っていましたが、正保元年(1644)に両村は現在地に移転して、二川宿と加宿大岩となり、東海道五十三次中三十三番目の宿駅として業務を行うことになりました。
天保14年(1843)には、本陣・脇本陣がそれぞれ1軒、旅籠屋が38軒、人口は1468人で、家数は328軒でした。現在も、本陣をはじめとして、江戸時代の宿場町としての景観を残しています。
東海道二川宿案内地図
東海道二川宿案内板
二川町と大岩町は、江戸時代に二川宿として、東海道五十三次中33番目の宿場が置かれました。
東海道53次之内二川宿「猿ヶ馬場」
二十三番目の宿場町二川宿と書かれた行灯
趣ある食堂 「取付屋」