街道左側(西)の火防の槙
白須賀宿の火除説明板
街道右側(東)の火防の槙
東海道白須賀の宿は、津波の難を恐れ、宝永5年(1708)潮見坂の下から、坂上へ宿替えをした。それまでの坂下の白須賀を元宿と呼ぶのはこの為である。
宿場移転以来、津波の心配は無くなったが、今度は冬季に西風が強く、たびたび火災が発生し、然も大火となることが多かった。これは当時、殆どの家の屋根が藁葺きであったことにも依る。
そこで此の火事を食い止めるために、生活の知恵として工夫せられたのが火防で、人々は 「火除け」 とか 「火除け地」 とか呼んで大切にしていた。
火防の広さは、間口二間(3.6m)奥行四間半(8.2m)で常緑樹で火に強い槇が十本くらい植えられ、元は宿内に三地点・六場所の火防があった。
湖西市教育委員会