白須賀生まれの国学者・夏目甕麿は通称嘉右エ門、萩園と号した。酒造を業とし、国学を内山真龍(またつ)に学び、のちに本居宣長の門に名を連ねた賀茂真淵(かものまぶち)の「万葉集遠江歌考」、「鈴の屋大人都日記」 等を上梓(じょうし)出版して国学の普及につとめた。著書に 「吉野の若菜」 等数編がある。文政5年(1822)没。
 子供の諸平
(もろひら)は甕麿の長子、柿園と号した。若くして紀州和歌山の本居大平(もとおりおおひら)の許に寄寓。乞われて加納家の養子となり、のちに紀州候に召されて国学を講じ、国学所総裁となる。
 諸平には 「当代類題和歌選集」 のほかに柿園詠草拾遺等の家集をはじめ、数多くの著作がある。安政3年(1856)没。
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夏目甕麿邸跡解説

夏目甕麿邸阯・加納諸平生誕地碑