文明8年(1476)4月6日、駿河守護職今川義忠公三遠平定の帰路、残敵に討たれ、この地に没し、遺骸を葬りしあとに植えられた松なりと伝う

うない松のあと碑

  いにしへに ありきあらずは 知らぬども
  あてかた人の うなひ松かぜ

うない松の歌碑

久内和光が大松を詠んだもの

潮見坂が左カーブする右手筋に 「うないの松」がある

振り返ると遠州灘が見える

石碑の前に松の大きな切株が残っている

供養塔