藤原為家(1198~1275)
鎌倉中期の歌人で定家の二男、初め朝廷に仕え、父の没後家系と学統を継いだ。
承久の乱後、「千首和歌」 で歌人として認められ、「続後撰和歌集」 「続古今和歌集」 の勅撰集を始め、多くの私家集を編んだ。歌風は温和、平淡。この歌は
「続古今和歌集」 巻第19に収められている。
阿佛尼(?~1283)
朝廷に仕えた後、藤原爲家の継室となり、夫の没後出家し、鎌倉下向の折、「十六夜日記」 をなした。この歌は同日記にあり、当時のこの辺りを豊かな感性でとらえている。
よって爲家・阿佛尼の比翼の歌碑とした。
(新居町教育委員会)
阿仏尼
わがためや 浪もたかしの 浜ならん 袖の湊の 浪はやすまで
藤原為家(前大納言為家)
風わたる 浜名の橋の 夕しほに さされてのぼる あまの釣舟
早朝の為か車の往来はほとんどない
藤原為家・阿仏尼の歌碑
かなり長い松並木である