もとは真言宗のお寺であったが、元中7年(1390)本興寺の末寺となり、法華宗に改宗した。
宝永4年(1707)の大津波により大破、惣町移転となり、翌年現在の地に移転した。
徳川家康をはじめ代々の将軍より朱印を賜り、有栖川宮御祈願所を拝命し、位牌を安置。松山新田の開拓者野口休可の墓や無縁供養のめぐみ観音を祀る。
俳匠大野林火の句碑があり、「お経に化けた鯛」 の伝説もある。
平成12年一字一石経の経塚に、「あけぼのの鐘」 が建立された。
本果寺由緒
本堂内陣
本堂に掛かる本果寺の扁額
本果寺山門
山門に掛かる正興山の扁額
鐘楼
野口休可の墓
慶應3年(1867)の手水石
三十番神宮
野口休可は本名を甚九郎直勝といって、慶長19年(1614)遠州中泉の生れで、はじめ回船業を営んでいたが、その後、橋本村に移り住み、明暦2年(1656)に松山新田を開発した。
本果寺本堂