那須田又七顕彰碑解説

 那須田家の先祖は、豊臣氏に仕えていましたが、大阪の役の後、舞坂で農業を営むようになりました。又七は、天明4年(1784)の生まれで、子供の時から聡明でした。勉学に励み、16歳で舞坂宿問屋場の書記となりました。その後、村役人・宿役人を長く勤めました。産業振興に努め、海苔養殖の基盤を作りました。飢饉の時には、私財を投じて救済事業を行いました。その人望と功績により名字帯刀を許され 「袱紗刀爺」 (ふくさがたのやや) と呼ばれました。嘉永3年(1850)66歳でなくなりました。安政5年(1858)その業績を永く伝えるため、顕彰碑が建立されました。
  舞坂町教育委員会

那須田又七碑銘と刻まれた顕彰碑

不明