ここは、浜名湖今切渡しの舞坂側の渡船場跡で、明暦3年(1657)から寛文元年(1661)にかけて構築されました。その後、江戸時代には災害で幾度か修復されています。両側の石垣の白い部分は、昭和28年(1953)の台風で石垣が崩れたため積み直したものです。
雁木とは、階段状になっている船着場のことをいいますが、地元では 「がんげ」 と昔から言っています。
舞坂宿には、三ヶ所の渡船場がありましたが、一番南側は主に荷物の積み降ろしをした渡荷場、真ん中は旅人が一番多く利用した主要渡船場で本雁木と呼ばれています。
この北雁木は、主に大名や幕府公用役人が利用した所で、往還から幅10間(約18m)の石畳が水際まで敷き詰められています。
(浜松市教育委員会)
北雁木常夜燈プレート
石垣・石畳の一部が残る北雁木跡
東海道53次之内 舞阪 今切真景
北雁木常夜燈
史跡 北雁木説明
渡船場跡北雁木碑碑