江戸時代、舞坂には三箇所の渡船場があり、ここはそのうち一番南側の渡船場跡で渡荷場といい、一般庶民の乗降にも利用したが、その名のように、主に東海道の輸送用荷物の積おろしをした場所である。袖石垣と浪除石垣は昭和25年(1950)から始まった漁港改築工事により姿を消したが、水神様はもとは30mほど東の地点に鎮座していたが、ここに移された。 浜松市教育員会
とうかばあと (みなみがんげ)
渡荷場跡(南雁木)説明
水神宮の石鳥居
鳥居に掛かる水神宮の扁額
風化した手水石
水神宮社殿