拝殿内に見える岐佐神社本殿

拝殿に掛かる岐佐神社の扁額

岐佐神社拝殿

 平安時代に書かれた 「延喜式神名帳」 に遠江六十二座。敷智郡六座の一つとして記載されており、千年以上の古社である。明応7年(1498)の地震津波では、浜名湖の湖口が切れて 「今切」 となり、舞澤(舞坂)の郷は、人家と共に水中に埋没した。満目荒涼たる砂丘上の柳の根本に 「岐佐大明神」 の小祠を見つけ、住民は社殿を建立して祀った。これが現在の御鎮座の地である。
 無事難を逃れた住民は、付近の松原に部落を作り、現在の舞坂待ちのもとをなした。これを 「三十六屋敷」 という。天正2年(1574)以来、数次の本殿・拝殿 再建の棟札を保存している。慶長6年(1601)伊奈忠次公より、御神領3石、慶安元年(1648)徳川家光公より御朱印状により、神領5石を奉献され明治維新に至る。明治6年(1873)郷社に列し、大正9年(1920)神饌幣帛供進社となる。現在の社殿は大正元年(1912)の造営である。

岐佐神社碑

榎と槙が根元でくっついた縁結びの木

御神木の松

文政11年(1828)の常夜燈

 古事記に登場する 「因幡の白兎」 に続くお話です。大国主命は兄弟達と恋争いの末、八上比売と結婚の約束をします。恋に破れた兄弟達は、大国主命を手間山に呼び出して殺そうとはかり、「山の上から猪を追い降ろすから、山の下で捕らえろ」 と言いつけて、真っ赤に焼いた大石を、転がり落としました。この大石を抱きとめた大国主命は、大やけどを負い、命を落としました。これを知って悲しんだ母神は、天上の神皇産霊神(かみむすびのかみ)に命乞いをされます。
 神皇産霊神は、娘神で岐佐神社の御祭神である 「蚶貝比売命・蛤貝比売命」 に言いつけて、大国主命の治療に当たらせます。蚶貝比売命(赤貝の神)は貝殻を削って白い粉末を作り、蛤貝比売命(蛤の神)は、粘液を出して練り合わせ、どろどろした母乳のようなものを作り、大国主命の全身に塗りました。すると火傷はすっかり治り、大国主命は雄々しい姿によみがえったのです。
 出雲神話と岐佐神社とは、このようなかかわりがあり、ここに 「赤いし」 が祀られています。御祭神が海に関係するところから、水産・漁業の神であると共に、この神話に因んで、火傷・病気にも霊験あらたかと信仰を集めています。

津島神社・伊勢神宮・春日大社・天白さまが祀られている

境内社

赤猪石の由来

赤猪石(あかいし)

昭和4年(1929)の手水石の置かれた手水舎

岐佐神社由来

境内社の秋葉神社