宝冠に馬頭をいただき、憤怒の相をした三面八臂の観世音菩薩である。交通運搬、農耕等のため極めて重要であった馬の供養と結合して、江戸時代庶民の信仰を集めた。
二つ御堂の西に周囲約6mの秀衡の松と呼ばれる老木があった。「秀衡の側室の亡骸を埋めたところに植えた松」 と伝えられている。明治15年頃までは残っていた。
秀衡の松
高札場跡標柱
三面八臂の馬頭観音
弘法大師像
奥州平泉の藤原秀衡公とその愛妾によって天治年間(1124-26)創建されという。京に出向いている秀衡公が大病であることを聞いた愛妾は、京へ上がる途中、ここで飛脚より秀衡公死去の知らせ(誤報)を聞き、その菩提を弔うために、北堂を建てたという。一方、京の秀衡公は病気が回復し、帰国の途中ここでその話を聞き、愛妾への感謝の気持ちを込めて、南堂を建てたという。
現在の北堂は、昭和39年改築、阿弥陀如来・地蔵菩薩・毘沙門天が、南堂は、昭和12年新築、薬師如来・不動明王・大日如来が祭られている。
毎年12月14日、供養が行われている。
可美地区自治会連合会
二つ御堂(北堂)に掛かる阿弥陀堂の扁額
二つ御堂説明
左から地蔵菩薩・阿弥陀如来・毘沙門天