ここの地蔵様の中の巡礼供養仏の台座に享保8年(1723)と彫られていることから、徳川吉宗の時代より1200年近くも祭られていたものと思われます。
 子宝に恵まれた親が石仏を寄進し、子供の病が癒えたお礼仏といった風習もあったのではないかと思われます。。
 隣町の成子町にあった西番所で取調べを受けて亡くなった妊婦の子が生き残り、その菩提を弔ったことが、いつの間にか子育地蔵と言われている説もあります。
 現在のこの場所は宿場の境界であり、水路と塚があったことから、自然発生的に造られたと言われています。残念なことに再三にわたり盗難に遭い被害を受けました。
 ここにあってこそお地蔵尊であり、後世に残さなければならない貴重な文化財であります。

円筒形の手水石

子育地蔵尊霊と刻まれた標柱

台座に乗った小さな地蔵菩薩

享保8年(1723)の巡拝供養佛

子育て地蔵尊説明

地蔵祠

嘉永4年(1851)の地蔵菩薩

子供を抱いた地蔵菩薩

地蔵菩薩