堀留川下流域

鎧橋由来

鎧橋標柱

 平安時代末期(800~900年前)戒壇設置のことで、比叡山の僧兵が鴨江寺を攻めた時、鴨江寺側の軍兵は、この辺り一帯の水田に水を張り、鎧を着て、この橋の守りを固めて戦ったので、その後、鎧橋と称したという。 
 その時の双方の戦死者およそ1000人を鎧橋の北側に葬り、千塚(または血塚)と言ったと伝えられている。
 (可美村教育委員会)