大正8年(1919)の常夜燈

秋葉山常夜燈

庚申堂之碑

夢告知地蔵尊発掘跡碑

 この地蔵尊は、安政5年(1858)に大流行したコレラで死んだ人達を供養するために建立されたもので、延命地蔵尊と呼ばれ、遺族達の香華が絶えなかった程の大繁盛ぶりであった。
 その後、明治7年、小野組の大火災に遭い、更に廃仏毀釈の影響で取り壊し令が出て、地中に埋められた。大正8年になって当町住人小柳丈之助という人が、地蔵尊が世上に出たいとという夢を見て、町民一体となり埋められたと思われる庚申堂境内をあちらこちら堀捜した結果、三日目に発見、地蔵尊を復元し、夢告知地蔵尊と命名した。
 当時このことが異常な評判を博し、特に花柳界に反響を及ぼし、東西より粋な夫人の参拝が後を絶たなかったという。その後、大東亜戦争中、爆撃と艦砲射撃により御本体と御堂ともに目茶目茶に破壊されてしまったが、戦後再び地蔵尊を復元し、昭和26年、現在の場所に御堂を造り、恭しくお祀りしたのである。昭和51年にいたり、この御堂はすでに老朽化し、倒壊寸前の状態にあり、これの新築を計画したるところ、幸いにして町内外有志のご賛同と御喜捨を得て、総檜造りの御堂を新築落成したのである。

夢告知地蔵尊

夢告知地蔵尊由来

秋葉神社