歴史がうつる三ケ野七つ道
南北朝時代に宗良親王がその心境を三ケ野橋に託してここを通ったときの歌が残されているようにこの辺りは歴史や地形上からも東西の交通の要衝であった。
また、武田軍の遠州侵攻のときは古戦場となった。旧東海道の松並木・車井戸跡・鎌田薬師道道標・立場茶屋跡等を見て隣接の桶ケ谷沼・鶴ケ池を廻る家族向けのハイキングコースとして好評を博している。
東から三ヶ野橋を西進すると、標高38mある大日山の急斜面を這うように江戸期以前の細道が蛇行している。坂上で江戸時代の旧東海道と交差する。そこを200m西進して、北向きに明治27年築造のなだらかな坂道を降りる。ここは大正6年築造の道路と交差していて、その横は昭和30年築造の国道一号線となる。
交通量の増加で磐田バイパスが計画されて、立体交差袴道橋が平成2年に完成した。国道の地下道を抜けると、北側は桶ケ谷沼に続く。ここから見付に抜ける間道は、俗に言う質屋通いの隠れ道であった。
時代別に順次作られた七つ道が、1カ所にまとまって見られるのは珍しい。
急な坂道の 「江戸の古道」
上り切ったところに 「江戸の古道碑」 と説明板がある
解説から南に下る道の脇に 「鎌倉の古道碑」 がある