足元にある標石は 「道路元標」 と呼ばれ、市町村の道路の起終点を示したものです。大正9年施行の旧道路法により、各市町村に一箇所の設置が定められました。
ここにある 「中ノ町道路元標」 は中ノ町村の起点を示すもので、当時の規格に忠実に作られています。
市町村の数と同じ1万2244基が設置されましたが、全国に現存するものは1600基ほどと言われ、静岡県内ではおそらく唯一の大変貴重なものです。 中野町を考える会
ここ中野町は、東海道のちょうど真ん中であることからその名前が付いたと伝えられています。
十辺舎一句の東海道中膝栗毛にも、「舟よりあがりて建場の町にいたる。此処は江戸へも六十里、京都へも六十里にて、ふりわけの所なれば中の町といへるよし」と記されています。
この辺りは、川越しの旅人や商いをする人、天竜川をなりわいの場とする人々で活気があふれていました。
中野町を考える会
中野町道路元標と旧東海道解説
道路元標の先に延びる中野町の旧街道
旧東海道標柱