長森立場説明
長森かうやく説明
江戸時代、宿場と宿場をつなぐ街道筋の主な村(間村)には、立場という旅人や人足、駕籠かき、傳馬などの休憩所が設けられていました。
(中略) ここから数十メートル東へいったところに立野村字長森の立場があったと伝えられています。
立場は、掛茶屋、立場茶屋などど呼ばれる茶屋を兼ね、旅人たちはお茶を飲んだり、名物の餅などを食べて休憩しました。また、馬もここで湯や麦などを補給しました。
磐田市教育委員会
「長森かうやく」 は、江戸時代の前期万治年間(1658~1660)から、山田与左衛門家で作り始められた家伝薬で、冬季にできる「あかぎれ」や切り傷などに抜群の効能があるとして、近隣の村人は元より、参勤交替の大名行列の一行や東海道を上下する旅人たちの土産品として大変な人気を博しました。
山田家には今でも江戸時代に作られた桜の木の一枚板の大看板があります。この看板は、高さ1.4m、幅73㎝、厚さ3.5㎝という立派なもので、これには
「御免 御むそう 長もりかうやく 本家 山田与左衛門」 と刻まれており、中央の上には十六弁の菊の紋章も刻まれています。
こうやくの製法は、当時の主人山田与左衛門が夢枕にたった神様のお告げによって始めたと伝えられ、当主が代々受け継いできましたが、現在は作られていません。製法は極秘中の極秘とされ、たとえ妻であっても明らかにされることは許されませんでした。
昔の歌に 「諸人のよき評判や長森の 諸病に菊の五もんくやく」 と詠まれています。
磐田市教育委員会
東海道道標 長森立場
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